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ヒロキと六つの大陸と一つの島⑥ ~~~百万匹のウォンバット~~~

  
  
  
  
ヒロキと六つの大陸と一つの島、そして100万匹のウォンバット

第六回
  
  
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⑧ 百万匹のウォンバット
  
  

 ふと見上げた空は曇り、さっきまで広がっていた青空がどこにも見えない。
旅の空は晴れていた方がいいよねと、今までのことを思い返して考える。

「帰らなくて良かったのかい?」
ウォンバットの一人が話しかけてくる。
その瞳はとても優しく、そして心配してくれているように。
 
「大丈夫です。このドアがあれば僕はいつでも金沢動物園へ帰ることができるんです。一人になってしまいましたが後もう少しこの旅を続けます」
僕はまだそこにあるドアを一度見て、頷いてからそう言った。

いつまでもみんなを付き合わせるわけにはいかないと僕は考えて、しばらくの間一人で出かけてくるとウォンバット達に話した。
それならこの辺りでまた会おうとみんなは微笑む。

「気をつけて」
女の子のウォンバットは僕に声をかけ、その隣で子供のウォンバットが何度も頷いていた。
 
 
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白いあの看板はまだ向こう。
大丈夫だ、僕は今まで六つの大陸を歩いてきたウォンバットだ。
一人でも旅をするウォンバット、ただ少しお腹が減っているだけの────
 
前を向いて歩けば、そこにはいつでも目的地。今はあの白い看板だ。

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そんなには歩いていないはずだけど、寄り道をしない僕はその看板のそばまですぐに辿り着く。
「なんて書いてあるんだろう。お姉さんなら読めたはずだよ」と、不思議な存在感のあるその文字を見上げ、飼育係のお姉さんことを思い浮かべた。
 
これは矢印、その形。
向こうを見ろと声が聞こえてくるように、僕は白い看板が指し示すその方向に目を向ける

視界はどこまでも開けている、その先には山々が連なっている。
風が強く吹き、それを合図にしたように身体が強く震えた。

 
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一番高いあの山だ────僕はこの風景、あの鮮やかな色を知っている。
間違いない、ここは僕の生まれ故郷だ。

旅の中で先へと導いてくれるもの。
それは人、それは優しい動物達。
────そして物を言わない目印、看板だ。
 
思っていたよりそれは近いと感じた。
大切な大陸の中でもまた大切な場所、僕はそのすぐ側にいいた。
それともどうか、距離というものをどう感じるかはきっと気持ち次第なところもあるんだろう。
バオバブの林までのあの距離や、南極点までの道のりも。
気持ちがなければもっと遠く、遥かに遠い目的地。想いがなければたどり着かない場所だったに違いない。
  
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目の前の山がそう、あれがボゴング山なんだ。
看板の文字は読めなかった僕だけど、生まれ故郷と感じたよ。
それならそうだ、ボゴング山だ。
お姉さんに聞いたのさ。
 
飼育係のお姉さんに聞いたんだ────
 
 
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山の麓、ユーカリの森の中にそっと踏み入れる。
ここに立つユーカリの木は今まで見てきたどのユーカリよりも大きく高い。
雪解け水かどうなのか澄んだ小川がいくつも流れ、その度に触ればに鮮烈な冷たさを感じ研ぎ澄まされていく。
人が通ることもあるんだろう、小さな橋がかかっていた。
辺りを見回してはみたものの、側に人の姿は見つからない。動物達の姿も今は無い。
時折にどこか遠くで鳥の声がするだけだ。

森の中を歩けば歩くほど、近づけば近づくほどに山全体の姿は見えなくなってくる。
歩き慣れない道を進めば疲れて息も切れてくる。途中何度も休んで呼吸を整える。
今まであまり考えないでいた。金沢動物園からどれくらい、日本からはどれくらい。僕は今、遠くまで来ているんだ
  
 
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静かだ、もう風の音しか聞こえてこない。
僕は今、ボゴング山を歩いてる。

────里帰りっていうのかな。
 
今見ている風景を覚えているわけじゃない。思い出せるわけじゃない。
それでも感じることがある、何か伝わることがある。今、僕の目に溜まるこの涙はどういう種類になるのかわからない。
「帰ってきたよ」
少し不安だったけどあの時そのまま帰らないで良かったと自分に言い聞かせるように小さな声で呟いた。
 
 
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ユーカリの木のいくつかに矢印があることに気がついた。
それはここを訪れる人に向けての物なのかもしれない。僕のためにというわけでは無いだろう。
それでもここはふと気になった白い看板に、その指し示す方向に導かれてきた場所だ。何かきっと意味がある。
僕はその矢印に従って今度も歩いてみることにした。
 
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人の姿、動物達の姿はまだ見ない。静かな森、大きなユーカリの木の森だ。
矢印をただたどり、静かにゆっくり歩いていく。急がなくてもいいことだ。
このままどこへ向かうのか────いくつかの視界が開ける場所で休憩をしながら僕はなんとなく考える。
曇ったままの空を見上げてみたりして。
 
小川のような水の音、何も言わずに静かに飛ぶ蝶。
ボゴング山のどこかを僕は歩いてる。
何故ここに来る前にドアが現れていたんだろうとも思ったけれど、今はとにかく先へ、先へ。
ゆっくりゆっくり一歩ずつ。
 
 
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「次はあの矢印だ」
ふと呟いて、ここでは珍しい高く伸びた草の間を分け入ったその時だ。
目の前に一人のウォンバットが立っていた。
急に現れた僕に、そのウォンバットはびっくりしたような顔をして何も言わずにこっちを見ている。
おでこにはいくつかのシワ模様、小さな瞳に小さな口だ。
 
もしかしたら僕の────
 
そう思っても何も言葉が出ない。

ぱたぱたとどこかで鳥が羽ばたく音がしたその瞬間、そのウォンバットが走り出した。
「待って」
 
声を上げても止まってはくれない。そして姿が急に見えなくなる。
そこにはウォンバットが掘ったような穴が空いていた。
きっとそのトンネル、巣穴へと入っていったんだろう。
 
 
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その場で僕は立ち尽くし、この意味をぼんやり考える。
飼育係のお姉さんならどんな答えを出してくれたんだろう。
 
ボゴング山のこの辺り、短い間だったのかもしれないけれど確かに暮らしていたのだとしても、今の僕は動物園の動物だ。
名前はヒロキ、名も無き野生のウォンバット達とは違う。
旅の間に大勢の、色々な動物達と出会い、話しをしてきたことが特別だったんだろう。
ドアを一度くぐり抜け、金沢動物園へと帰った時に特別だったその旅が終わっていたんだろう。
ここに居てはいけないってことじゃない、動物達に会うことが絶対に駄目ということではない。
人と野生の動物達、そこには距離があるということなんだ。
それが動物園で暮らす今の僕も同じということなんだろう。
 
そうだ、これまでの旅、飼育係のお姉さんと一緒に出かけていたあの旅は特別な時間だったんだ。
 
僕はウォンバットが掘ったと思うその穴をただ外から眺めていた。
でもここでずっと待っていても良くないと思い、矢印をまた探してみる。

「今度は旅の途中で会いたいね、今日はさようなら」
 
 
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ここは僕の生まれ故郷、歩いただけ、足跡をつけただけ、場所を確かめることができただけで満足だ。
また旅に出かけることができたなら、今度は一番に来てみよう。
どんなことでも一度だけではわからない、繰り返せば繰り返すほどにまたその先が見えてくる。

「さようなら」
振り返らずに呟いた。
僕はボゴング山を後にした。

途中、見上げた空はいつの間にかにまた晴れている。
オーストラリアの陽射しは強い。
 

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ドアは変わらずそこにある。
それは僕にとっての一つの安心のようなものだ。
 
「おかえりなさい、ヒロキさん」
女の子のウォンバットのの声がした。
するとさっきまでの全員ではなさそうだけど、みんなが次々と僕の前に来る。
「待っていてくれたのかい。ありがとう」
僕の言葉にみんなは微笑んでくれている。
このウォンバット達は飼育係のお姉さんと一緒だった時と変わらない。
不思議だと思ったけれど今は何も考えないようにした。凄く嬉しかったし、誰かと話ができることはとても心が落ち着いてくるからだ。
  
 

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「この看板が指し示していたのは僕の生まれ故郷、ボゴング山だったんだ────」
出かけていた時のこと、考えたこと、感じたことをみんなに話した。
出会ったウォンバットのことは伝えないようにして。
 
「────あと本当はメルボルン動物園に行けたなら、僕が日本へ行く前のことは全部なのかもしれないけれど」
長く話した最後にそう言うと、子供のウォンバットが目を輝かせて飛び跳ねた。

「前にも話したけれど、僕はお母さんと動物園の側まで行ったことがあるんだよ。きっとそのメルボルン動物園だと思うんだ」

空が晴れて太陽の場所がわかるようになる。
────そうだ、日はまだ高い
 
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「ヒロキさん、ぼーっとしてないで早く動物園に行こうよ。二人で行こうよ、僕がお姉さんの代わりだよ!」
子供のウォンバットが空をぼんやりと眺めていた僕を急かした。

「そうだね、夕方までには戻ってこないとみんなが心配してしまう。行こう、僕をその動物園まで案内してくれるかい?」
子供のウォンバットは元気よくまた飛び跳ね、お母さんのウォンバットは頷きながら微笑んでいる。

「ヒロキさん、この子は旅の真似事をしたいのか、ヒロキさんと一緒にお出かけするのを楽しみにしていたようなんです。よろしくお願いしますね」と、お母さんのウォンバットは優しく言い、僕達を笑顔で送り出してくれた。

「ちゃんとここに帰ってきます。僕はお姉さんの言葉を聞いてきて一つわかったことがあるんです。旅に出ている人を、旅に出ている動物を、必ず誰かが待ってくれているんです。だから必ず戻らなければ、帰らなければいけないんです。それは長い旅でも、ちょっとしたお出かけだとしても同じこと────だから僕達はちゃんとここに帰ってきます」
  
  
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「ヒロキさん、動物園に着くまでに色々なお話をしてくれるかい?ヒロキさんのお話、僕は本当に楽しみなんだ。それに動物園の中まで入るんでしょ?凄いよ!本当に。帰ったらお母さんに話をしてあげるんだ」
子供のウォンバットは楽しそうに走り回る。僕の隣でわくわくする気持ちの時の笑顔を見せている。

楽しい気持ち、わくわくする気持ち────それがあれば旅の準備はもうほとんどできている。

 僕は金沢動物園のことを子供のウォンバットに話した。
『ユーラシア区』のこと、『アメリカ区』のこと、『アフリカ区』のことや『ほのぼの広場』のこと。
そして僕が暮らす『オセアニア区』と大好きなコアラ達やカンガルー達、大好きな動物達のこと。お姉さんや飼育係の皆さんのこと。

「動物園もいい所なんだ。人と動物達が仲良く暮らす、とっても素敵な所なんだよ」と話しをすれば、早く行こう、動物園に早く行こうと、案内をしてくれる子供のウォンバットの足取りは先を急ぐように速くなる。

────話をしていると思い出す。金沢動物園は僕にとって本当に大切な場所だ。
ときおり遠くで聞こえるワライカワセミの鳴く声が金沢動物園で聞くみんなの声や音に重なるよう。

動物園から戻ったら早く金沢動物園に帰ろう。飼育係のお姉さんが僕の帰りを待っている。
  
  
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「ヒロキさん、あそこを見て!動物園が見えてきたよ!」
子供のウォンバットが指さした先に建物が見える。動物園まで後少しの所まで僕達は歩いてきた。

────メルボルン動物園。小さい頃の少しの間を僕はそこで過ごしたはずだ。オーストラリア大陸、ボゴング山、そしてここが本当にメルボルン動物園ということならば、僕はもう一つの故郷に帰ってきた。
僕のことを助けてくれた人、僕のことを憶えている人はあそこにいるのだろうか──── 
 
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 動物園の建物が見えてくると疲れを忘れ心が踊り、あっという間にすぐ側まで辿り着いていた。
最初に覗いてみた正面の入り口はとても混雑している。僕達は動物園の周りをぐるりと歩いてみた。

「ここから入れそうだよ」と、子供のウォンバットが背の高い草をかき分け歩いた先で僕を呼ぶ。
見れば動物園を囲む柵に隙間が出来ている。僕達はそこから中にそっと入った。
  
  
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 動物園の中は大勢のお客さんでとても賑やかだった。動物達の鳴き声も色々な所から聞こえてくる。

「ヒロキさん、動物園の中って凄いんだね!こんなに楽しそうな場所だったなんて、きっとお母さん達は知らないと思うよ」
ここは野生で暮らす子供のウォンバットにとって初めての場所、動物園の世界だ。

この動物園の方が少し広いけどやっぱり金沢動物園と同じだ。優しさと愛情、そして心に余裕さえあれば人と動物が会話をすることができる。
どこの動物園でもうそうなんだ、素晴らしい動物園の世界はここにある。


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「見て!大きなカンガルーだよ。向こうで飛び跳ねているのは誰なのかな?今の綺麗な声はどの鳥の声かな?」
子供のウォンバットはお客さん、初めて動物園に来たような子供たちと同じように動物園を感じ、そして心から楽しんでいた。
 
動物園に漂う雰囲気、ゆったりと流れていく時間────そんな素敵な物を僕は懐かしく思う。
  
  
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 ここがメルボルン動物園だとしたら最初にすること、それはウォンバットの家に行くことだ。
僕のことを覚えているウォンバットがまだ暮らしているかもしれないし、もちろん飼育係さんもいるだろう。
何より僕自身が何か昔のことを思い出せるかもしれないと思ったからだ。

 近くにあった地図を見てウォンバットが暮らしている家を探してみた。文字は読めなくてもそこにある絵で僕はコアラやウォンバット、オーストラリアの動物達の姿を見つける。
ただ方角は僕が地図を見てもよくわからない。
「とりあえず歩いてみよう。どこに行けばいいのかわからないけど、途中で誰かに聞いてみることにするよ」
僕は子供のウォンバットにそう話し、注意深く辺りを探しながら歩き出した。

 歩いてみればこの動物園は本当に広く、素敵な庭で大勢の動物が暮らしている。
楽しそうに笑う動物、お客さん達の声────そして飼育係さんの声が聞こえてくる。

────お姉さん、今日も金沢動物園には楽しい声が溢れていますか?
  
  
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「おーい、なんで外側をウォンバットが歩いているんだ?」
見かけた飼育係さんの方へ歩いていこうとした時に僕達を呼び止める大きな声がした。その声がした方を見ると黒っぽい身体をした動物が大きな口を開けながら僕達を見つめている。

────動物園のウォンバットについて教えてもらえるかもしれない。動物達に導かれてきたこの旅だ。飼育係さんに聞くより先に動物達に話を聞こう。
そう思った僕は子供のウォンバットと一緒にその動物の家に近づいていく。 
  

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そこで暮らす動物は僕より一回り小さい身体、鋭い牙、そして可愛い目と艶のある鼻の動物だ。外に掲げてある看板の字はやっぱり読めなかったので名前がわからない。

「僕の名前はヒロキ。ウォンバットです。あなた達は誰で、そしてここはメルボルン動物園ですか?」
話しかけると少しせっかちな感じでその動物が話しだす。

「ここは確かにメルボルン動物園だ。それよりなんだ、君達はウォンバットなのに私達のことを知らないのか? まあ今ではそういうこともあるのかね。私達はタスマニアデビルだ。ところで何故君達は周りの人にも気づかれずに動物園の中を自由に歩いているんだい?」

人に気づかれてはいない────そういえばそうだ。僕はそのことに気がついていなかった。 
 
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「タスマニアデビルさん、僕は日本で暮らすウォンバットです。今回は世界中を旅して、最後のオーストラリア大陸まで来ました。そして一度は僕の家がある金沢動物園に戻ったんですが、またオーストラリア大陸に戻ってきました。ここがメルボルン動物園ということで安心しました。僕はここで暮らすウォンバット達にどうしても会いたいんです」

そう話すと、タスマニアデビルはすぐにウォンバットの家がある場所を教えてくれた。
初めはちょっと恐い動物だと思ったけど、そんなことはない。動物達はみんな優しい。

「それにしても世界中を旅したというのは凄い話だな。私は今までこの動物園で何不自由なく楽しく暮らしてきた。だけど君の話を聞いたらいつか旅をしてみたくなってきたよ。僕達は夢に見ることがまた増えた。今日はありがとう。じゃあ、ウォンバット達にもよろしく言っておいて」
  
  
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 ウォンバットが暮らす家の場所を教えてもらった僕達はタスマニアデビルにお別れを言い、その場所を目指して歩いた。
のどが渇いた僕達は途中で出会ったカンガルーに貰った水を飲んだ。

「ヒロキさん、あそこみたいだよ!」
動物園の中でひときわ明るく見えた不思議な場所、子供のウォンバットがそこに“ウォンバットの家”を見つけた。
早足で家の前まで行き、静かに中を覗く。すると、そこには僕と鼻の形が違うウォンバットが座っていた。
窓から覗く僕達に気が付いたそのウォンバットが近づいてくる。
「やあ、こんにちは。見かけたことのないお二人さん」
目の前まで来た“鼻の形が違うウォンバット”が僕達を見て微笑む。
  
  
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「こんにちは。僕はウォンバットのヒロキ。日本の金沢動物園で暮らしているウォンバットです。ドアをくぐり抜け世界中の旅をして、最後のオーストラリア大陸まで来ました。この子はここ『メルボルン動物園』まで案内してくれた子供のウォンバットです」

「ヒロキ君というのかい?とてもいい名前だね。私は君達とは違う種類になるウォンバット、ケバナウォンバットだ。君は世界中を旅してきたと言ったね、それはいい。きっとたくさんの素晴らしい経験をしてきたんだろうね。見てごらん、あそこに君達と同じ“コモンウォンバット”がいる。私にはわかっているよ。君は彼らに会いに来たんだろう?」

僕と鼻の形が違う“ケバナウォンバット”が指さした家────すぐそこに目的の場所が見える。
「そうなんです。僕にはどうしても知りたいことがあるんです。ありがとう、ケバナウォンバットさん」

────ケバナウォンバットだけじゃない。旅で出会った動物達、みんな本当にありがとう。もう忘れてしまっていた場所に僕はこうして着きました。
  
  
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 続けてきた旅、無理に戻ってまで訪ねた生まれ故郷のボゴング山、そしてここ、メルボルン動物園。ウォンバットが暮らす家。
そうだ、全ての道のりはあそこで最後、そういうことだ────

 僕達はコモンウォンバットの家の前に着いた。庭を覗いてみると確かにウォンバット達がいる。
寝ているウォンバット、散歩しているウォンバット。そして穴を掘っているウォンバット。

少しの間なんだろうけど僕はここで暮らしていたのだろうか────
僕は目の前にある庭を眺め、思い出そうと一生懸命考える。でも今はまだ何も思い出せないでいる。
  
  
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「すみません、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」僕は中にいるウォンバット達に声をかけた。

「君達は誰だい?そしてなんで外を歩いているんだい? 外を自由に歩けるのは鳥達とかどこからかやってきたトカゲとか、今の君達はちょっとおかしいよ」
今まで穴を掘っていたウォンバットがその手を止め、僕達を不思議そうに眺めて言った。やっぱり動物園の中で家の外を歩いているのは少し変なことらしい。

「僕は日本の金沢動物園で暮らすウォンバット、ヒロキです。世界中を旅して来ました────」僕はこれまでのことを集まってきたウォンバット達に話をした。
素晴らしい景色のこと、出会った大勢の動物達のこと、そしてウォンバットの神様がずっと見守ってくれていたこと。

もうすでに思い出話の様にさえ感じてしまうことまでを色々と。
色褪せずに思い浮かんでくることの全部を話した。
  
  
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「そうか、小さい頃のヒロキ君はここで暮らしていたというんだね? それが確かなことなら君が続けてきたこの旅が最高の形で終わるかもしれないということか」

「そうなんです。小さい頃の僕を誰か憶えていたり、今ままでに聞いていたりしませんか?」

 メルボルン動物園のウォンバット達はみんなと相談をしたりしながら一生懸命に思い出そうとしてくれた。
「ごめんよ、やっぱり誰もわからないようだ。ここから引っ越してしまったウォンバットも大勢いるし、かなり昔のことみたいだから」

────しょうがないことだ。ここのウォンバット達のみんなは僕よりもずっと若く見える。
メルボルン動物園のウォンバット達に会えただけ、話が出来たというだけで僕は嬉しい。

「飼育係さんがもう少しでご飯を持ってやってくる。飼育係さんに訊いてみようよ」とウォンバットの一人が言った。
「そうだね、諦めるのはまだ早いかもしれない。飼育係さんにも訊いてみるよ」と頷き、僕は微笑んだ。
ただ一つ、タスマニアデビルが気づいたように、人に僕の姿が見えているのだろうかという不安を抱えたそのままに。

 僕はその不安もあり、とても緊張しながら飼育係さんを待った。
しばらくすると「来たよ!」と、ウォンバット達がささやいた。
  
  
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「みんな~そろそろご飯の時間だよ~」遠くから飼育係さんの声がちりんちりんと鳴るベルの音と一緒に聞こえてきた。
その優しそうな声と足音がだんだんと近づいてくるのがわかる。
そして目の前に姿を表したその瞬間、傍で座る僕と子供のウォンバットの方へと振り返る。

「えっ???」と大きな声をあげ、飼育係さんは驚いた。
この人には僕達の姿が見えている。
動物園の中を歩いている間、誰も気に留めなかった僕と子供のウォンバットのその姿を今、確かに見つめている。

「あなた達はどこから来たの?ここで何をしているの?」
飼育係さんはすぐに笑顔を見せてくれ、僕の頭を優しく撫でる。
そして子供のウォンバットを抱き上げ「かわいいね」と言い、みんな一緒に幸せそうに、そして楽しそうに笑った。
 
────その時だ。
周りの風景、広がる青空、今この世界で見えているその色全て。
僕の小さな瞳に映るその全部が魔法をかけたようにより鮮やかな色へと変わる。
 
飼育係さんが子供のウォンバットを抱き上げたその光景に動物園の全てを見たようなその瞬間だ。
僕はこの旅、最後の一つをそこに見る。

動物達と人達と、それを繋ぐ動物園。
それはどこでも同じ、世界中。
その素晴らしさに気がついて、誰にも優しくなれたなら。誰もが優しくなれたなら────

動物園は光る窓、動物園はそっと迎える入り口で。
動物園で過ごす時間は未来へ続く風のよう。
飼育係さん達の優しいその手は動物達と人達の全てを繋ぐ道を傍に呼ぶ。
 
 
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さっきまでよりも周りの人達の声が大きく、そしてはっきりと聞こえている。
僕がしたわがままで飼育係のお姉さんとあの時に無理に別れた。そのことで今まで人と離れてしまっていてもしかたないと気がついた。
メルボルン動物園の飼育係さんが子供のウォンバットを抱き上げて、優しいその手が野生と触れて一度途切れた人と動物、繋ぐその道をまた元へと戻す。

全てを繋ぐその道にやっと今、気がついた僕はまた動物園の動物へと戻ることができたんだ。
 
 
 「僕は日本にある金沢動物園で暮らすウォンバット、名前はヒロキです。不思議なドアをくぐり世界中の旅をして、最後のオーストラリア大陸まで来ました────」

僕がそこまで話すと、その後の話をメルボルン動物園のウォンバット達が続けてくれた。
「ヒロキ君はずっと昔のまだ小さな頃、メルボルン動物園で暮らしていたらしいんだよ。お母さんとボゴング山の側の森ではぐれてしまった時に誰かに助けられ、その後の少しの間をここで過ごしていたみたいなんだ。遠く離れたウォンバットが里帰りをしたくなる気持ちは私達でも良くわかるよ。ここから引っ越していった家族や仲間、ここにいれば逆の立場になるけれど、やっぱりみんなにはもう一度会いたいと思うから。ただここにいるみんなはヒロキ君のことは覚えていない。そうだ、飼育係さんは小さな頃のヒロキ君を知ってるかい?」
  
  
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 一通りの話を聞いたメルボルン動物園の飼育係さんは少し残念そうな顔をしながらまた僕の頭を優しく撫でる。
「私がメルボルン動物園で働き出したのはヒロキ君がここにいた頃よりずっと後の頃からになるの。だから私は小さな頃のヒロキ君のことがわからない。ごめんね。でも動物園には昔から働いている方がいる、その頃のことを覚えている人が必ずいる。だからちょっと待っててね────」

飼育係さんはそう言い、そして走ってどこかに向かう。その背中は優しくて温かい、僕の大好きなお姉さんと一緒の後ろ姿に見えていた。

────人と野生の動物達を繋ぐ一つの道は動物園。過去から未来を繋いでいくのは誰かの記憶、その想い。それは世界中のどこでもきっと変わらない。
  
  
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 しばらくすると飼育係さんが走りながら戻ってきた。かなり急いでくれたんだろう、息を切らしているけどその表情は笑顔のままだ。
「昔のことに詳しい人を呼んできたの。ずっと長く動物園で働いてくれている人、もうおじいさんの飼育係なの」と、肩を上下に息をする飼育係さんの後から優しそうなおじいさんがゆっくりと歩いてきた。ユーラシア大陸で出会ったあの大きなおじいさんにどこか雰囲気が似ている人だ。

「おやおや、ウォンバット達みんな集まっているんだね。それに見たことがない顔もいて今日はとても賑やかだ」
おじいさんは僕達を見て嬉しそうに微笑んだ。

 おじいさんは側のベンチにゆっくりと腰をおろし、かけていた小さな眼鏡を外し、ポケットの中にそっとしまった。
「日本に行ったウォンバット、その子のことはちゃんと覚えているよ」
おじいさんの話はその言葉から静かに始まった。
  
  
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「ここからだいたい500km、その北東へと行った所に『Mount Bogong』という山がある。その森の中であるウォンバットがうろうろと道に迷い、一人歩いていたところを見つけた人がいた。そのウォンバットはまだお母さんと一緒にいなければいけないような“小さな小さなウォンバット”だ。 状況から考えればその子は目の前からいなくなってしまったお母さんを探してずっと歩き続けていたんだろう。もうこれ以上歩けないほどに疲れきっていた。 辺りを見回し探しても残念ながらその小さなウォンバットのお母さんの姿はどこにも無かった。残念だけど、その小さなウォンバットを救うにはしかたがなかった。 その子をここ『メルボルン動物園』で保護することににした。大勢の飼育係、獣医がその子を看病していたよ────そうだ、その小さなウォンバットはみんなの人気者だったのさ。 強いウォンバットだったんだろう、みるみるうちに元気になって、そこの庭を楽しそうに走り回っていたよ。 そしてある日、その子に名前を付けてあげることになった。小さなウォンバットを誰よりも愛おしく見つめ、看病していた獣医さんにちなんで『ヒロキ』という同じ名前が付けられた。そうだよ、その獣医さんは日本人なんだ。 素敵な名前がついた小さなウォンバットが動物園で暮らす動物として幸せな日々をしばらく過ごした頃のこと、ここから日本の『YOKOHAMA』にウォンバット達を贈ることになった。その中の一頭は日本人の名前が付いているヒロキが選ばれた。動物達を送り出すことはいつも寂しいけれど、その時、その名前、全てに意味があると誰もが賛成をしたよ。もちろん獣医のヒロキもそのことを喜んでいた。大好きな“小さなヒロキ”に大好きな故郷の国、日本でもみんなの人気者になって貰いたかったのさ」

 そこまで話したところで、おじいさんは一度話を止め僕の顔をじっと見つめた。そして優しい顔で微笑み、いくつもの涙、大粒の涙をこぼした。
「君があの時の小さなウォンバット、ヒロキ君なんだね。海の向こうへと出かけて言った君。私はもう会えないと思っていた。おかえりなさい、よく帰ってきてくれたね」

「そうです。僕はヒロキ、ウォンバットのヒロキです。メルボルン動物園まで帰ってきました。帰ってこれました。ありがとう、僕のことを憶えていてくれて本当にありがとう────」

いつの間にか僕の目からもたくさんの涙が溢れていた。
  
  
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────お客さん達、そして飼育係さん達みんなが呼んでくれる“ヒロキ”という名前、それは日本人の獣医『ヒロキさん』の名前だ。
そしてこの素敵な名前が無ければ僕は金沢動物園に行くことはなかったのかもしれない。

それは飼育係のお姉さんにも会えなかったということだ────
  
  
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 僕は今の金沢動物園での暮らしを話した。おじいさんは「君が楽しく元気に暮らしているなら私も幸せだ」と喜んでくれた。そして「君が大好きだという“飼育係のお姉さん”にもいつか会ってみたいね」というおじいさんの言葉が僕は本当に嬉しかった。

「ところで“獣医のヒロキさん”は今何処にいるんですか?僕は獣医のヒロキさんに会いたいです。看病してくれたこと、名前を貰ったこと、きっとそれで日本に行くことが出来たこと、色々なお礼をしたいんです」
僕がそう話すとおじいさんは涙を手の平で拭い、にこっと笑い優しく僕にささやく。

「獣医のヒロキは今は日本にいるよ。君が暮らす金沢動物園のある日本だ。きっと今も大勢の動物達を優しく見つめながら獣医のヒロキは暮らしている。君の傍の人達なら知っているはずだ。会えるよ、いつかきっと会える────君も日本で暮らしていればヒロキに会える日が必ず来るよ」

 僕の目からもう一度たくさんの涙が溢れていた。

────飼育係のお姉さんが待っている金沢動物園に帰るんだ。獣医のヒロキさんに会える日を僕はお姉さんと一緒に金沢動物園、あのオセアニア区で待つんだ。

「僕は日本に帰ります。みんなが待っていてくれる大切な家『金沢動物園』に帰ります。今日は本当にありがとう」
  
  
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 飼育係さん、そしておじいさんと一緒に動物園の出口に向かって歩いた。
大勢のお客さん達が園内を歩く僕と子供のウォンバットを見て喜び、写真を撮ってくれている。
そうだ、この飼育係さんが子供のウォンバットを抱き上げたあの瞬間から周りにいる優しい人、誰にでも僕達の姿が見えている。

「ヒロキ君というんですよ」と、集まって来てくれる人達におじいさんが僕を紹介してくれていた時だった。
「本当にあのヒロキなの?」という声が聞こえ、大きなカメラを持った一人のおばあさんが僕の傍でしゃがんだ。
おばあさんは僕の顔を優しく、じっと見つめ、そっと微笑む。
「歳をとってもあの時と変わらないね、本当にかわいいウォンバット。今日はどうしたの、里帰り? あれから何年経ったんだろうね、また会えるだなんて思ってなかったわ」と言って、おじいさん、飼育係さん、そして僕達が揃って微笑む一枚の写真を撮る。
僕はその写真を見ていない。でもわかる。
それは最高に素晴らしい旅の中の記念写真だ。
  
  
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シャッターの音に少しはにかみ、飼育係さん達を見上げた僕におじいさんが教えてくれた。
「聞いたことはあるかい? 昔ヒロキ君はある新聞の一面を飾ったんだ。それから大勢のお客さんが君に会いに来た。あの時メルボルンの人全員が君のことを知っていた。でも何年も経ってしまった今、寂しいことだけど忘れてしまった人もいる。でもこうして憶えてくれている人もきっと大勢いるんだよ。君がはるばるとメルボルンまで帰ってきたと聞けばみんな嬉しいんだ」

────僕のことをいつまでも憶えてくれている人がいる。僕も今まで会ってきた人、動物達、そして旅で出会ったみんなのことを忘れない。
そうだ、僕はオーストラリア大陸で産まれ、少しの間だけどここで暮らしていた。その大切なことを僕はいつまでも忘れない────

優しい人達が僕に話してくれたんだ。これならもう何も忘れない。  
  
「それじゃ、ここでお別れだ。最後まで気を付けてね。そして日本へ帰ったらいつまでも元気に楽しく幸せに暮らすんだよ」

 飼育係さんとおじいさん、そして大勢のお客さん達に見送られ、僕と子供のウォンバットはメルボルン動物園を後にした。
  
  
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「こうしてオーストラリア大陸を歩くことは最後かもしれない────」と考えながら帰る道。一歩一歩感じる感触、目に入る景色と色、どんなことでもどんなものでも感じることの全てがが大切だ。

思っていたより早く僕達はウォンバット達みんなが待っているあのドアのところまで戻ってきた。
大切な場所はいつだってすぐ側だと帰り道には何故かそう感じてしまう。
まだ日は高く、空は濃い青色のままにどこまでも広がっている。


「これでヒロキ君の旅が本当に終わるんだね」
待っていてくれたウォンバット達にメルボルン動物園でのことを話し、これから金沢動物園に帰ると伝えたらウォンバットの一人が寂しそうな笑顔を見せてポツリと言う。
────そうだ僕の旅はこれでおしまい、ドアをくぐればそこは金沢動物園だ。飼育係のお姉さんが待っている。

「オーストラリア大陸は本当に楽しかったよ。いくつもの素晴らしい経験をすることができた。みんな、ありがとう────」
僕はお別れを言い、ドアをノックした。
 
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 様子が変だった。ノックしても音がしない。何度ノックしてもドアは開かない────そう何度も、何度ノックしてもドアは開かなかった。
ノックし続ける僕の傍で女の子のウォンバットが泣きだした。
「やっぱり開かないんだ……私、聞いたの。私の前に現れたウォンバットの神様に聞いたの。『ドアはもう開かない。ヒロキ君はそのドアをノックして開いて向こう側へと一度くぐった。その瞬間にドアは役目を終えてしまう』って、そう聞いたの」

涙をこぼし続けて話す言葉はとても悲しく儚い。
僕の目からも涙が一緒にこぼれてくる。この涙はもうドアが開かないということへの絶望感、そして一生懸命に話してくれるその泣き顔へ、ありがとうのその気持ち。

「怖くてすぐに言い出せなかった。もしかしたらドアはまた開くんじゃないかとも思ったし────」とずっと泣きじゃくる女の子のウォンバットに僕は「大丈夫だよ」と言ってなぐさめ、話の続きを聞いた。
ウォンバットの神様は「オーストラリア大陸にはポッケの動物たちが大勢いる。ウォンバットがここで暮らすこと、それ自体は決して悪いことじゃない。それも一つの選択だ」と話したという。
僕の視界に広がる青空と緑の大地、ここが今度の空と家。
そう思うと全ての色が何故か寂しく見えてきて、また溢れる涙で滲み出す。
 
オーストラリア大陸が嫌なわけじゃない、ただ僕は金沢動物園へ帰りたい。
ちゃんと帰ってこの旅を最高の時間、素敵な物として誰かに話したい。
 
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「帰ることができるかどうか、それは後少し、もう少し、旅を続ける気持ち次第だよ」とウォンバットの神様は言ったらしい。
一度は帰った金沢動物園、僕はそこからオーストラリア大陸へとまた戻ったんだ。
そうだ、今ここにいるのはまた自分で初めた僕の旅。終わりと思えばこのままオーストラリア大陸で暮らすこと。
まだ終わってないと考えることができたなら────
 
ここで暮らすにしてもそう、帰り方を考えるとしてもそう、どっちを選んだとしてもその時はみんなはヒロキ君の傍にいてあげなさい、ウォンバット一人一人を助けることができるのは私だけではないのだから、とウォンバットの神様は言ってくれていたらしい。
 
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「旅は一回だけということは無い。一度の旅ではできなかったことを次の旅で経験することになるかもしれない。欲張った結果でドアが開かなくなり、すぐに帰ることができなくなったことはしかたない。でもね、そうなってしまったからこそまた新しく始まる何かがきっとあるんだよ。僕もそれを見てみたいと期待しているし、ウォンバット達の力をいつでも信じてる。それに自分は手を貸すだけだ────」
最後にそう話し、そしてウォンバットの神様はどこかで暮らすウォンバットが行く最後の旅の手伝いに出かけたと言う。
そうだ、いつまでも僕一人にかまってばかりはいられない。きっと順番がずっと先まで決まっている。

ウォンバットの神様は世界中のウォンバットの幸せを願い、助けているんだと僕は考え、そして今の状況、これから色々と考えなければいけないということ、全てのことを心に留め置いた。

あの時にメガネグマが言っていた「旅をずっと楽しむため、そのための余裕────」、クマ達が作ってくれたその余裕を僕はまだ持っている。
飼育係のお姉さんと続けてきた旅の中、また始めたこの旅で、僕は色々なことを考え感じてこれたわけだから────
  
  
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 ひとしきり話した後には女の子のウォンバットは泣き止んでいて、今度は笑顔を一生懸命に作ろうとしているようだ。

「このドアがもう開かないということ、それがどういうことなのかがよくわかったよ。僕が悪いんだ、一度は終わりにしたはずの旅、ドアをくぐって続けていく旅を、あの時それで納得しなかったわけだから。あのまま金沢動物園で待っていれば、いつか獣医のヒロキさんに会えたかもしれない。おじいさんに聞いた話と同じようなことを飼育係のお姉さんや獣医のヒロキさんから教えてもらえていたのかもしれない。いつか二回目の旅に出かけることができた時、ボゴング山やメルボルン動物園に無理をしないで行くことができていたのかもしれない。ドアで始まる旅だった。最後までドアに任せることが大切だったんだ。でも後悔はしてないよ。いつか話したとおりだ、南極点で地球が回転するための芯棒を僕は見た。あの芯棒に僕は教えてもらっていたはずなんだ。地球は逆には回らない、過ぎた時間は戻せない────そう、いつも前に進まなければいけないってことをね」

────少し遅くなってしまうかもしれないけれど僕は金沢動物園に帰る。絶対に帰るんだ。


「ヒロキさん、ごめんね。帰れなくなってしまったのは僕がドアの向こうのヒロキさんに声をかけてしまったからなんでしょう。でも、本当に楽しかった。メルボルン動物園に一緒に行くことができて僕は楽しかったよ。あそこで色々な人や動物達の顔を見てからだ、いつか僕も旅をしてみたいと思うようになったんだ」

そう話した子供のウォンバットの顔を見て言葉が自然と浮かんでくるようだった。
それは相手に伝えるというだけのことではなく、あの時の自分をただ振り返り思い出し、頭の中に今でも浮かぶあの風景を。そしてもう一度自分で納得するように。

「あの瞬間、開いたままのドアを通じて金沢動物園とオーストラリア大陸は繋がっていた。動物園の僕の庭にいても君の声が聞こえてきた。僕は思った、その繋がっている風景を見たいってね。だって夢のような話だろ、大好きな動物園と大好きなオーストラリアがすぐ側にあるように感じられるなんて。だからぼくは振り返った。振り返ってドアの向こうのオーストラリア大陸を見た。ドアが閉まるまでその風景を眺めていたいと思ったんだ。旅を終わりにするのにはそれだけで良かったんだ。だけどね、僕は見つけてしまったんだ。気になっていた白い看板、ボゴング山を指し示していたあの看板をね」
 
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 そうだ、あの時また戻ったことは間違いだったわけじゃない。どれだけ遅くなっても金沢動物園へとちゃんと帰ることができたなら────
 
「やっぱり、少しでも早く金沢動物園に帰りたいのかい? いいじゃないか、みんなと一緒にここで暮らそう。僕達はどんなことでも協力するよ。楽しくのんびり暮らしていればいつか、ウォンバットの神様が必ず迎えに来てくれるよ。きっと大丈夫だよ」
僕を元気づけようとしてくれているんだろう。ウォンバットの一人が温かい笑顔で話しかけてくれている。

「ありがとう。でも本当は早く帰りたい。飼育係のお姉さんや動物達、そして僕のことを見に来てくれている人達が待っている。でもしかたがない、もうドアは開かないわけだから別の方法を考えるようにするよ。それまではみんなと一緒に────」
 
────ありがとう、オーストラリア大陸のウォンバット達。  
 
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空はどこまでも青く晴れ渡り、気持ちがいい風が吹いている。
大丈夫だ、何も悪いことは起こらない。
そして旅はまだまだ途中、終わってしまったわけじゃない。

  
  
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「ヒロキさん」と、近くのユーカリの木から声が聞こえた。あのコアラの赤ちゃんの声だ。

「ここだよヒロキさん。今みんなのお話をここでお母さんと聞いてたの。ユーカリの木の上でヒロキさんの帰り方を一緒に考えようよ」と、コアラの赤ちゃんは言う。ウォンバットが木に登れないことをまだ知らないのかもしれない。コアラのお母さんも笑っている。
 
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僕はユーカリの木の下からコアラの赤ちゃんを見上げ、そっと微笑む。
「駄目だよ、ウォンバットは木には登れないんだ。そのかわりウォンバットは穴を掘ることが出来るんだ────」

────僕がそう話したその時だ。

「そうだ、穴だ!トンネルを掘ろう!」
何かをひらめいたウォンバットの一人が叫ぶ。そしてウォンバット達全員がそのことに気がついた。

「ここから日本までトンネルを掘ればいいんだ!そうすればヒロキ君は金沢動物園に帰ることが出来る!」と、ウォンバット達は言う。

凄いこと、普通じゃ考えもしないこと、この旅は動物達に導かれ、動物達とともに先に行く。全てがどこか特別なことで進んでいく。

 オーストラリア大陸から金沢動物園まで海を越え長く深く続いていくトンネル、僕はそんな凄いトンネルを頭に思い浮かべた。
────ウォンバットなら出来るかもしれない。

もう金沢動物園には戻れないと一度は覚悟した。でも大丈夫だ、僕達はまた飼育係のお姉さんに会うことが出来る。
ウォンバット掘り進めるトンネルで遥か遠く海を越え、金沢動物園に僕は必ず帰るんだ。
  
  
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「オーストラリア大陸のウォンバット全員に声をかけろ。きっとみんな協力してくれる」と、誰かが言ったのをきっかけにウォンバット達は走りだし、オーストラリア大陸で暮らす仲間を呼びにいく。

「ありがとう」僕は走り出したウォンバット達を見送りお礼を言った。すると一人のウォンバットが足を止めて振り返り笑顔で言った。
「これから始まろうとしているのは僕達ウォンバットの冒険だ。君が素敵な旅と凄い冒険をしてきたように、今度は僕達もその旅と冒険をするんだ。トンネルをみんなで掘るのは君のためでもあり、そして私達オーストラリアに暮らすウォンバットのためでもある。今からわくわくしてくるんだよ」

────そうだ今の僕もわくわくしている。僕もみんなと同じウォンバット。旅と冒険、その途中のウォンバットだ。

 しばらくすると遠くの方からこちらへと動物達が集まリだした。
前を見ても後ろを見ても、右を見ても左を見ても────凄い数の動物達が僕の方へぞくぞくと歩いてくる。

────みんなウォンバットだ。僕のため、そしてウォンバット達の旅と冒険のために集まったウォンバットだ。

 僕の周りに見渡すかぎりのウォンバット────

 その数は百万匹。そう、百万匹のウォンバットだ
  
  
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「行くぞ!日本に向けて出発だ!」 「まずはオーストラリア大陸の北にある海岸を目指して歩くんだ!」
百万匹のウォンバットの声がオーストラリア大陸を埋め尽くす。ウォンバットの声、一人一人はそんなに大きくなくてもこうして集まれば、百万匹の声はどんな動物の声よりも大きく力強い声だった。

 僕は百万匹のウォンバットと一緒にオーストラリア大陸を北へと歩き出す。ウォンバット達の旅と冒険が始まる。
“────ドアはもう開かない”と、落ち込んだことなんかもう忘れていた。旅はこうして突然に、思い立ったその瞬間から始まるものだと理解する。
旅は楽しい、それが近くへ行くにも、遠くへと出かけることだとしてもそうだ。
集まってくれた百万匹のウォンバットもきっと同じ気持ちだろう。

この瞬間の僕達は今────そうだ、最高の気分だ。

 百万匹のウォンバットはオーストラリア大陸を北へ北へと歩き、山を越え森をどんどん抜けていく。すると遠くに海が見えてくる。珊瑚礁が輝く綺麗な海だ。
海の香りが僕の平たい鼻に当たる。海には水平線が広がっている。ホッキョクグマと見た水平線の先には北極点があったはずだ。今見ている水平線の先にはきっと日本がある。僕はこれから百万匹のウォンバットと一緒にあの綺麗な海を越えるトンネルを堀り、トンネルを抜け、その日本まで行く。

遥かに広がる海を向こうに眺めながらに歩き続けた僕と百万匹のウォンバット。
オーストラリア大陸の北の端の綺麗な海岸まで全員が笑顔のままに辿り着く。

 小柄で黒っぽい毛のウォンバットが海とオーストラリアの風景を交互に見つめ何かを一生懸命に考えている。そして「この方角で間違いない、あの方向に真っ直ぐだ────」と一言呟き、周りに集まったウォンバット達とトンネルを掘り始める場所の相談を始めた。
その黒っぽい毛のウォンバットは普段から渡り鳥と話をしていて地図に詳しいと言い、見上げれば今も何羽かの鳥達が空に円を書くように飛んでいる。

「やっぱり日本もオーストラリア大陸の様に広くて大きな大陸なのかい?」と、僕のすぐ隣にいたウォンバットが訊いてきた。
僕は日本についてふと考えた。思えば金沢動物園のことしかわからない。でもきっとこの旅で見てきたような綺麗な景色がどこか色々な所にあり、同じように大勢の動物達が暮らしているんだろう。

「日本は大陸じゃなくて、島国だと飼育係のお姉さんに聞きました」
僕がそう答えると、そのウォンバットは「と、いうことは」と言って何度か頷き、僕に一言だけ言って微笑んだ。
「六つの大陸と一つの島、それが君のこの旅だ。」

 六つの大陸と一つの島。そうだ、僕の旅はドアをくぐって周った六つの大陸だけでは終わらなかった。
最後にもう一つ、百万匹のウォンバットと一緒の大切な旅が残っていた。

大好きな金沢動物園へ帰る────あそこで終わりにしていたらそれだけのことだったのかもしれない。
でも今は日本へ、金沢動物園へと向かう素敵な旅と冒険だ。
  
  
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 僕を呼ぶ声が聞こえてくる。どうやらトンネルの掘り始めの場所が決まったようだ。オーストラリア大陸とお別れの時だ。

 目の前の海は空の色を映しているかのように青くて広い。空の青と海の青、すーっと丸い水平線でその青と青が交わって────
いつだってこんな景色、目を奪われて、心はそっと落ち着いて。
見上げてきたこの空と一度お別れ、僕達はトンネルの中を行く。次に見上げる空はどんな空になるんだろう。旅の途中で見てきた空と同じようなどこまでも続く綺麗な青空か。それともいくつもの光で賑わう星空か。朝でもいい、昼でもいい、夕方でも、夜だとしてもどれもいい。
旅をするのならやっぱり晴れた空がいい。

────僕が産まれたオーストラリア大陸、ボゴング山、さようなら。僕が暮らしたメルボルン動物園、優しい人達、さようなら。
色々な景色を見て眺め、大勢の動物達に出会い、そして大切な人達にしっかりと会いました。
僕は素晴らしい時間をここで過ごすことが出来ました。

「ありがとう、そして今日はさようなら」

 僕はどこまでも広がるオーストラリア大陸を見渡し、しっかりと記憶した。この風景を、素敵な思い出を絶対に忘れないように────
  
  
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「方角は向こうだ、曲がっちゃったりしないように」と、大きな声をあげ地図に詳しいウォンバットが指示を出している。
百万匹のウォンバットはみんなで頷き、指し示された水平線のその彼方、誰もが何かを見つめてる。

最後は百万匹のウォンバットと一緒に行く僕の旅。ここから先は冒険だ────

「僕から掘るぞ、みんな用意はいいかい?」
百万匹の先頭に立つウォンバットが現れた。その薄茶色のウォンバットが掘る穴はオーストラリアで一番なんだとみんなは言う。見れば、身体はあまり大きくないが鋭い眼差しで正面を真っ直ぐに見つめ、毛深い両手両足がとても力強い。穴掘りが得意だということがその全身から伝わってくるようだ。

「オーストラリアで一番の穴掘りをするウォンバットか────」
どこか特別な者に感じるその姿、僕はその薄茶色のウォンバットに憧れた。

 地面の土が高く舞い上がった。先頭を進む穴掘りが得意なウォンバットが真っ直ぐに突き進み、その後を次のウォンバットが掘り進め、またその後を次のウォンバット達が後ろに土をかき出していく。その繰り返しで百万匹のウォンバットはトンネルを掘っていく。
凄いスピードだ。これが僕達ウォンバット、そのウォンバットらしさの一つなんだろう。

ウォンバットは木には登れない。だけどこんな穴を、トンネルを掘ることができる────それはきっとはるか昔に誰かから貰った能力だ。
コンドルやペリカンなら空を飛んでいくだろう。魚やイルカ、そしてジンベイザメなら海を泳いでいくだろう。
でも僕達はウォンバットだ。トンネルを掘って海を越えるんだ。
  
  
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 どこまでも深く、先へ先へと百万匹のウォンバットはトンネルを掘っていく。
僕はみんなと同じような勢いで掘りたくてもなかなか上手に掘ることができなくて周りのペースに少し戸惑う。

「これだけのウォンバットが集まったんだ。ヒロキ君は少し手伝ってくれるだけでも大丈夫だよ」と、オーストラリア大陸で初めに声をかけてきてくれた大きなウォンバットがそんな僕を見て優しく微笑む。
どんどんと掘り進む百万匹のウォンバットの力は何よりも凄かった。

「気を付けて!少し右に曲がってしまっているみたいだ」と、地図に詳しいウォンバットがまた大きな声で指示を出す。
トンネルはうねるようにと前へ前へと進んでいく。そのスピードはいつまで経っても衰えない。それどころか、徐々に速くなっていっているような気にさえなる。

 先頭はどこまで進んだのだろう、あとどのくらいで日本に着くのだろう、と思ううちに、百万匹のウォンバットが辿り着くそのゴールが僕の頭の中に浮かんでくる。すると「楽しかった旅もそのうちいつか、静かにそっと終わがくる」と────

また僕は考えてしまう。
しかたがないけど今でも少し寂しい気持ちになる。

僕はそんな気持ちを振り払うように小さな声で呟いた。
「大丈夫、この寂しい気持ちもきっとすぐに思い出へと変わる。今まで続けた旅のことと一緒に素敵な思い出に必ず変わる。僕は今こうして百万匹のウォンバットと一緒に旅を、ウォンバットの冒険を楽しんでいる────きっと大丈夫。一度終わったと思っていた旅はまたこうして始まったじゃないか。そうだ旅は一度きりなんてことはない」

トンネルの外、海の上。空は綺麗な青空なのだろうか、それとも星が輝く素敵な夜空なのだろうか。
時間はあれからどれだけ経った、僕等はどこまで進んでる────
僕は目の前の土を掘りながらふとそんなことを考える。
大丈夫だ、どんなことも大丈夫。金沢動物園で僕の帰リをきっと待ってくれている飼育係のお姉さんの顔を思い浮かべいつもより少し大きな声で呟いた。
 
「あと少しで帰ります。最後まで心配ばかりでごめんなさい」
  
  
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 「楽しいね!」
その声が聞こえた方へ目をやると、女の子のウォンバットと子供のウォンバットが土だらけの顔をして、トンネルを楽しそうに掘っていた。
僕もそんなウォンバット達に負けないように一生懸命に掘り続ける。

掘り続ければ身体はやっぱり埃っぽい。僕は動かしていた手足を一度止め、いつもの様に毛づくろいをした。
ふと後ろを振り返ると伸び続けたトンネルが凄い長さになっている。じっくり眺めてみても綺麗で歩きやすそうな本当に素晴らしいトンネルだ。
百万匹のウォンバットは無事に日本まで繋がる瞬間を待ち望み、この素晴らしいトンネルを夢中で掘り続ける。
顔を見ればわかる。旅と冒険の目的地、金沢動物園の景色を今みんなで夢に見ているということが。

僕も百万匹のウォンバットも、今ここにいるみんなが同じ気持ちだ────同じ気持ちで旅と冒険を続けてる。

 オーストラリア大陸を出発してからかなりの時間が経った。百万匹のウォンバットの口数は減り、少し疲れてきているようにも見えた。
心配だと思ったその時だった。「ヒロキ君、今どこだい?」とオーストラリアで一番の穴掘りをするウォンバットが先頭の方から大きな声で僕を呼ぶ。

長い列の横を抜け、トンネルの先頭まで辿り着くと地図に詳しいウォンバットが一人自信満々に頷いている。
「そろそろ日本に着きそうなんだ。ヒロキ君、最後は君が掘るんだ。それがいい」

そういえば、少し前からトンネルは上り坂になっていた。
「このすぐ先が金沢動物園────」と呟き、色々なことを思い出し、想像し、そして僕は緊張する。

僕は目の前の土を軽く触ってみる。土は柔らかく掘りやすい。

「出口まで後少し、もう後少しさ。さあ、繋げるんだ。オーストラリアと日本をトンネルで繋げるんだ」と、今までずっと先頭を掘ってきたオーストラリアで一番の穴掘りをするウォンバットが言う。
土がついたままの手で鼻をこすったのか、その顔は他の誰より泥んこだ。

────後少し掘るだけでいい、このすぐ先が金沢動物園になる。

みんな同じ様に緊張するのか息を呑み、静まりかえった百万匹のウォンバットに見守られ、僕は目の前の土を掘った。
  
  
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「あっ!」
びっくりするほど簡単に穴が空いた。

外の爽やかな空気が風となりトンネルの中に勢い良く吹き込んでくる。僕はその風を全身で受けながら穴を広げ、そして外に出た。
 
トンネルの中から地図に詳しいウォンバットが訊いてくる。
「ヒロキ君、今君がいるそこは何処だ?」

「────ここは、ここは僕の家です。みんなで掘ったトンネルは金沢動物園のオセアニア区、僕の家に繋がりました」

百万匹のウォンバットが掘り続けたトンネルは、僕が暮らしている家の庭まで信じられないほど正確に繋がっていた。
時々昼寝をしたり、穴を掘って遊ぶ庭の隅────ヤマモモの木の下、その木陰になる場所だ。

「本当に日本まで来たんだ!」 「ウォンバットのトンネルが繋がったんだ!」
百万匹のウォンバットが大きな声をあげて喜んだ。そして長いトンネルの中から次々と飛び出してくる。もちろん僕の庭だけでは百万匹のウォンバット全員はは入りきれない。

オセアニア区を、動物園中をウォンバットが埋め尽くしていく。
今まで誰も見たことがない、誰の想像さえも超えた動物園。この様子をもし見ることが出来たなら誰の心もきっと踊る。
夢より凄い動物園────そんな金沢動物園になっていく。
  
  
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僕は久しぶりの空を一人でそっと見上げてみる。
トンネルから出て初めて見る空はとても素敵な星空だった────

半分くらいの月の灯り、百万匹のウォンバットに負けない数の星がきらきらと。夜空は深い青色だ。
オセアニア区の動物達が大好きな“大きなユーカリの木”がその姿を影絵のように明るい夜空に映し、広場を埋め尽くした百万匹のウォンバットの背中にその長い影を静かに落とす。

この時間、飼育係のお姉さんは動物園にはいない。自分の家でぐっすりと眠っているはずだ。
会ってきた動物達がみんなで笑い、見てきた景色がどこまでも繋がり広がっている────そんな旅の夢を見ているかもしれない。

「お姉さん、着きました。僕は今、金沢動物園に帰ってきました。百万匹のウォンバットと一緒です。夜が明け動物園にお姉さんが来たらみんなのことを紹介します。最後の旅、冒険のことを話します。そしてボゴング山で見た景色、メルボルン動物園で聞いた大切なこと、大切な人達のことを話します────」

 百万匹のウォンバットは楽しそうに走り回り、そこいらじゅうで大騒ぎをして笑ってる。
オーストラリア大陸からトンネルを掘り海を越え、初めての旅と冒険をして日本までやって来たんだ。
動物園の動物達に会って欲しい、日本から見る星空や色々な物を見て楽しんで欲しい。なにより笑顔になって欲しい。

────金沢動物園の動物達、良かったらみんなと一緒に遊んでください。海を越え一緒にここまでやって来た僕の優しい友達です。
もし寝ているところを起こしてしまったらごめんなさい。
  
  
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 僕の旅は金沢動物園に帰ったところで締めくくる。でも百万匹のウォンバットの旅と冒険はまだ続いている。みんなの楽しい時間はずっとまだまだ終らない。

『金沢動物園を埋め尽くした百万匹のウォンバット』それが僕の長い旅のエピローグだ。

「ウォンバットの神様、素敵な旅が終わります。僕のわがままで色々な心配をかけてしまったと思います、許してください。僕は無事に帰ってこられました、僕のことを百万匹のウォンバットが助けてくれました。そして忘れられない思い出がたくさんできました。また今まで通り金沢動物園で静かに暮らします。僕には産まれてすぐに人との結びつきがあったという話を確かめることができました。それは大切なこと、そうですよね────僕はウォンバットのため、そして動物園で暮らす動物達と人とを繋ぐためにこれからもここで暮らします」
 
今どこにいるかもわからないウォンバットの神様に向かって僕なりの思いを伝える。
そうだ僕は幸せだ。
旅で気づいたこと、わかったことのその一つ。

────今ウォンバットの神様は何処を旅しているのだろうか。一緒に旅をしているウォンバットは何を見て、誰に会っているのだろうか。

 トンネルの出口に一人残った僕は、久しぶりの僕の庭をくまなく見て回った。前と何も変わらない僕の庭だ。綺麗に丁寧に掃除がされている────飼育係のお姉さんがしておいてくれたんだろう。

そのまま坂道を歩き部屋へと向かう。登った先にある部屋へのドアは開いていた。
僕はそのドアの向こう側をそっと覗いてみる、もう旅の始まりのような不思議な光景じゃない。部屋の中がいつものようにちゃんと見えている。
そこには暖かそうな干し草のベッドと美味しそうな草とお芋、九官鳥のペレットが用意されていた。
綺麗に掃除された庭と一緒。僕がいつ帰ってきても大丈夫なように、何も変わらずいつもどおりのそのように。
「いつもありがとう」
今度はお姉さんの顔を思い浮かべ小さな声で言うと、思いがけず涙が溢れる。
僕の小さな目ではその全部を溜めきれず、ぽろぽろとすぐにこぼれ落ちていった。
  
────このドアから始まった旅が今終わる。朝が来れば今までどおりの毎日だ。
でも今までと違うことが一つある。それは外の庭、木陰の所にみんなで掘ったあのトンネルの穴があるということだ。

百万匹のウォンバットが掘った日本とオーストラリア大陸を繋ぐ長いトンネル、その入口の穴が誇らしげに開いているということだ────
 
  
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 涙を拭うと、ふいに大きなあくびが出た。六つの大陸で長い距離を歩き、百万匹のウォンバットと一緒にトンネルを掘り続けた僕は疲れていた。
僕は部屋に入り、暖かい干し草のベッドにゆっくりと横になる。百万匹のウォンバットが動物園で遊ぶ声は楽しそう、部屋の外から賑やかに。

「ありがとう、みんなのおかげで金沢動物園に帰ってこれたよ。いつ会えるかわからないと思った飼育係のお姉さんにまた明日から会うことができそうだ。そしてこれからも金沢動物園で一緒に暮らすことができるんだ。ただこれで今の僕は少し疲れてしまったようだ。今日は先に眠ることにするよ。おやすみなさい、百万匹のウォンバット────また明日、僕と一緒に遊ぼうよ」
僕は今にも閉じてしまいそうな小さな目を必死に開け、百万匹のウォンバットに少しでも届くように声を出した。
この小さな声が誰かに届いたかどうかはわからない。でも僕はとても満足な気持ちでいた。

────六つの大陸と一つの島、その旅と冒険で夢を見るための準備がたくさん出来た。今日の夢、これから見るその夢は、百万匹のウォンバットと世界中で遊ぶ夢。
きっとそんなことだろう。もう一つの楽しみだ。

夢の中で旅の続きを始めよう。まだ見たことがない景色をみんなと一緒に見て回ろう。そうだ、日本で暮らすウォンバット達の所へみんなで行くのも楽しそう。それに目が覚めてしまっても大丈夫、僕はいつでもあのウォンバット達に会うことが出来る。みんなが夢中で掘ったあの長いトンネルを歩いていけば、そこは僕の大好きなオーストラリア大陸だ。

そうだ、今度は飼育係のお姉さんと一緒にトンネルを歩いていこう────そうだ、それがいい。
  
  
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 部屋の窓には“おでこにしわ模様”のウォンバットが眠そうな目をして優しく微笑んでいる。それは長い旅を終えた僕の顔だ。

「楽しかったね」
窓に映るその顔に僕はそっとささやいて、いつの間にかにゆっくりと夢の中に滑り込んでいく。

六つの大陸と一つの島を巡る僕の旅────それは今、色褪せることのない大切な思い出へと変わるんだ。
  
  
  
  
続く
  
  






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by bon_soir | 2018-08-10 09:51 | 金沢動物園 | Comments(0)