ヒロキと六つの大陸と一つの島⑥ ~~~百万匹のウォンバット~~~

  
  
  
  
ヒロキと六つの大陸と一つの島、そして100万匹のウォンバット

第六回
  
  
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⑧ 百万匹のウォンバット
  
  

 ふと見上げた空は曇り、さっきまで広がっていた青空がどこにも見えない。
「やっぱり青空がの方がいいな」と、僕はふと呟いていた。

「ヒロキさん、ぼーっとしてないで早く動物園に行こうよ。二人で行こうよ、僕がお姉さんの代わりだよ!」
子供のウォンバットが空をぼんやりと眺めていた僕を急かした。

「そうだね、夕方までには戻ってこないとみんなが心配してしまう。行こう、僕をメルボルン動物園まで案内してくれるかい?」
子供のウォンバットは元気よく頷き、お母さんのウォンバットも一緒に頷き微笑んでいる

「ヒロキさん、この子はヒロキさんと一緒にお出かけするのを楽しみにしていたようなんです。よろしくお願いしますね」と、お母さんのウォンバットは優しく言い、僕達を笑顔で送り出してくれた。

「ちゃんとここに帰ってきます。僕はお姉さんの言葉を聞いてわかったことがあるんです。旅に出ている人を、旅に出ている動物を、必ず誰かが待ってくれているんです。だから必ず戻らなければ、帰らなければいけないんです。それは長い旅でも、ちょっとしたお出かけだとしても同じこと────だから僕達はちゃんとここに帰ってきます」
  
  
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「ヒロキさん、動物園に着くまでに色々なお話をしてくれるかい?ヒロキさんのお話、僕は本当に楽しみなんだ。それに動物園の中まで入るんでしょ?凄いよ!本当に。帰ったらお母さんに話をしてあげるんだ」
子供のウォンバットは楽しそうに走り回る。僕の隣ではじけ飛ぶような笑顔を見せている。

楽しい気持ち、わくわくする気持ち────それがあれば旅の準備はもうほとんど終わっている。

 僕は金沢動物園のことを子供のウォンバットに話した。
『ユーラシア区』のこと、『アメリカ区』のこと、『アフリカ区』のことや『ほのぼの広場』のこと。
そして僕が暮らす『オセアニア区』と大好きなコアラ達やカンガルー達、大好きな動物達のこと。お姉さんや飼育係の皆さんのこと。

「動物園もいい所なんだ。人と動物達が仲良く暮らす、とっても素敵な所なんだ」と話し、目的のメルボルン動物園に向かって歩いた。

────話をしていると思い出す。金沢動物園は僕にとって本当に大切な場所だ。ときおり遠くで聞こえるワライカワセミの鳴く声が金沢動物園で聞く声や音を思い出させる。
メルボルン動物園から戻ったら早く金沢動物園に帰ろう。お姉さんが待っている。
  
  
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「ヒロキさん、あそこを見て!動物園が見えてきたよ!」
子供のウォンバットが指さした先に建物が見える。メルボルン動物園まで後少しの所まで僕達は歩いてきた。

────メルボルン動物園。小さい頃の少しの間、僕はあそこで過ごした。僕はオーストラリア大陸、そしてもう一つの故郷に帰ってきた。僕のことを助けてくれた人、僕のことを憶えている人は本当にいるのだろうか────

 一度でも動物園の建物が見えてくると、心が踊りあっという間にすぐ側まで辿り着いた。
最初に覗いてみた正面の入り口はとても混雑している。僕達は動物園の周りをぐるりと歩いてみた。

「ここから入れそうだよ」と、子供のウォンバットが背の高い草をかき分け歩いた先で僕を呼ぶ。
見れば動物園を囲む柵に隙間が出来ている。僕達はそこの隙間から中に入った。
  
  
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 メルボルン動物園の中は大勢のお客さんでとても賑やかだった。動物達の鳴き声も色々な所から聞こえてくる。

「ヒロキさん、動物園の中って凄いんだね!こんなに楽しそうな場所だったなんて、きっとお母さん達は知らないと思うよ」
────ここは子供のウォンバットにとって初めて見る動物園の世界だ。

メルボルン動物園の方が少し広いけど“金沢動物園と同じ”人と動物が会話をすることができる、そんな素晴らしい動物園の世界なんだ。

「見て!大きなカンガルーだよ。向こうで飛び跳ねているのは誰なのかな?今の綺麗な声はどの鳥の声かな?」
子供のウォンバットはお客さんと同じように動物園を楽しんでいた。
ここメルボルン動物園に漂う雰囲気、ゆったりと流れていく時間────そんな素敵な物を僕は懐かしく思った。
  
  
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 メルボルン動物園に着いたらウォンバットの家に行こうと僕は考えていた。
僕のことを覚えているウォンバットが暮らしているかもしれないし、僕自身が何か昔のことを思い出せるかもしれないと思ったからだ。

 近くにあった地図を見てウォンバットが暮らしている家を探してみた。でも地図を見てもよくわからない。
「とりあえず歩いてみよう。どこに行けばいいのかわからないけど、途中で誰かに聞いてみることにするよ」
僕は子供のウォンバットにそう話し、注意深く辺りを探しながら歩き出した。

 メルボルン動物園は広く、本当に大勢の動物が暮らしている。
楽しそうな動物達の声、お客さん達の声────そして飼育係さんの声が聞こえてくる。

────お姉さん、今日も金沢動物園には楽しい声が溢れていますか?
  
  
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「おーい、なんで外側をウォンバットが歩いているんだ?」
僕達を呼び止める大きな声がした。その声がした方を見ると黒っぽい動物が大きな口を開け、僕達を見ていた。
「メルボルン動物園のウォンバットについて教えてもらえるかもしれない────」

そう思った僕達はその動物の家に近づいていく。
そこで暮らす動物は僕より一回り小さい身体、鋭い牙、そして可愛い目と鼻の動物だ。外に掲げてある看板の字が読めなかったので名前がわからない。

「僕の名前はヒロキ。ウォンバットです。あなた達は────」
僕が話しかけるとせっかちな感じでその動物がまた話しだす。

「君達はウォンバットなのに、私達のことを知らないのか? まあ、そういうこともあるのか。私達はタスマニアデビルだ。ところで何故君達は動物園の中を自由に歩いているんだ? もしかして、ここの動物園のウォンバットじゃないのか?」

「タスマニアデビルさん、僕は日本で暮らすウォンバットです。今回は世界中を旅して、最後のオーストラリア大陸まで来ました。そして一度は僕の家がある金沢動物園に戻ったんですが、またオーストラリア大陸に戻ってきました。僕はメルボルン動物園のウォンバット達にどうしても会いたいんです」

僕がそう話すと、タスマニアデビルはすぐにウォンバットの家がある場所を教えてくれた。
初めはちょっと恐い動物だと思ったけど、そんなことはない。動物達はみんな優しい。

「それにしても世界中を旅したというのは凄いな。私は今まで動物園で何不自由なく、楽しく暮らしてきた。だけど君の話を聞いていたら、なんだか旅をしてみたくなってきたよ。僕達も楽しみが増えた。今日はありがとう。じゃあ、ウォンバット達にもよろしく言っておいて」
  
  
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 ウォンバットが暮らす家の場所を教えてもらった僕達はタスマニアデビルにお別れを言い、その場所を目指して歩いた。
のどが渇いた僕達は途中で出会ったキノボリカンガルーに貰った水を飲んだ。

「ヒロキさん、あそこみたいだよ!」
動物園の中でひときわ明るく見えた不思議な場所、子供のウォンバットがそこに“ウォンバットの家”を見つけた。
二人共早足で家の前まで行き、静かに中を覗く。すると、そこには僕と鼻の形が違うウォンバットが座っていた。
窓から覗く僕達に気が付いたそのウォンバットが近づいてくる。
「やあ、こんにちは。見かけたことのないお二人さん」
目の前まで来た“鼻の形が違うウォンバット”が僕達を見て微笑む。
  
  
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「こんにちは。僕はウォンバットのヒロキ。日本の金沢動物園から世界中を旅して、最後のオーストラリア大陸まで来ました。この子はここ『メルボルン動物園』まで案内してくれた子供のウォンバットです」

「ヒロキ君というのかい?とてもいい名前だね。私は君達とは違う種類になるウォンバット。ケバナウォンバットだ。君は世界中を旅してきたと言ったね、それはいい。きっとたくさんの素晴らしい経験をしてきたんだろうね。見てごらん、あそこに君達と同じ“コモンウォンバット”がいる。私にはわかっているよ。君は彼らに会いに来たんだろう?」

僕と鼻の形が違う“ケバナウォンバット”が指さした家────すぐそこに目的の場所が見える。
「そうなんです。僕にはどうしても知りたいことがあるんです。ありがとう、ケバナウォンバットさん」

────ケバナウォンバットだけじゃない。旅で出会った動物達、みんな本当にありがとう。もう忘れてしまっていた場所に僕はこうして着きました。
  
  
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────僕が確かにオーストラリア大陸で産まれたということ、それがわかるかもしれない────それがわからないかもしれない。
どっちだったとしても、あそこで最後だ。

 僕達はコモンウォンバットの家の前に着いた。庭を覗いてみると確かにウォンバット達がいる。
寝ているウォンバット、散歩しているウォンバット。そして穴を掘っているウォンバット。

僕も少しの間だけど、ここで暮らしていたんだろうか────僕はこの庭を眺め、思い出そうと一生懸命考える。でもやっぱり何も思い出せない。
  
  
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「すみません、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」僕は中にいるウォンバット達に声をかけた。

「君達は誰だい?そしてなんで外を歩いているんだい?外を自由に歩けるのはクジャクだけなんだよ」
今まで穴を掘っていたウォンバットがその手を止め、僕達を不思議そうに眺めて言った。やっぱり動物園で家の外を歩いているのは少し変なことらしい。

「僕は日本の金沢動物園で暮らすウォンバット、ヒロキです。世界中を旅して来ました────」僕はこれまでのことを集まってきたウォンバット達に話をした。
素晴らしい景色のこと、出会った大勢の動物達のこと、そしてウォンバットの神様がずっと見守ってくれていたこと。

もうすでに思い出話の様にさえ感じてしまう色々なことを話した。
  
  
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「そうか、ヒロキ君が小さい頃ここで暮らしていたというんだね? それが確かなことなら君がオーストラリア大陸で産まれたということに間違いがない、と……」

「そうなんです。小さい頃の僕を誰か憶えていたり、聞いていたりしませんか?」

 メルボルン動物園のウォンバット達は一生懸命考え、思い出そうとしてくれた。
「ごめんよ、やっぱり誰もわからないようだ。ここから引っ越してしまったウォンバットも大勢いるし、かなり昔のことみたいだから」

────しょうがないことだ。ここのウォンバット達はみんな僕よりもずっと若い。
メルボルン動物園のウォンバット達に会えただけ、みんなと話が出来たというだけで僕は嬉しい。

「飼育係さんがもう少しでご飯を持ってやってくる。飼育係さんに訊いてみようよ」とウォンバットの一人が言った。
「そうだね、諦めるのはまだ早いかもしれない。飼育係さんにも訊いてみるよ」と頷き、僕は微笑んだ。

 僕は少し緊張しながら飼育係さんを待った。
しばらくすると「来たよ!」と、ウォンバット達がささやいた。
  
  
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「みんな~そろそろご飯の時間だよ~」遠くから飼育係さんの声が聞こえた。
その優しそうな声と足音がだんだんと近づいてくる。そして家の前に座る僕と子供のウォンバットに気が付いた。

「えっ???」と大きな声をあげ、飼育係さんは当然のように驚いた。
でもその飼育係さんは直ぐ笑顔になり「あなた達はどこから来たの?ここで何をしているの?」と、僕の頭を優しく撫でる。
そして子供のウォンバットを抱き上げ「かわいいね」と言い、みんな一緒に幸せそうに、そして楽しそうに笑った。

「僕は日本にある金沢動物園で暮らすウォンバット、名前はヒロキです。不思議なドアをくぐり世界中を旅して、最後のオーストラリア大陸まで来ました────」

僕がそこまで話すと、その後の話をメルボルン動物園のウォンバット達が続けてくれた。
「ヒロキ君はずっと昔、まだ小さな頃メルボルン動物園で暮らしていたらしいんだよ。お母さんと森ではぐれてしまった時に誰かに助けられて少しの間ここで暮らしていたみたいなんだ。それを確かめることが出来たなら、ヒロキ君が確かにオーストラリア大陸で産まれたってことになるんだ。飼育係さんは小さな頃のヒロキ君を知っているかい?」
  
  
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 一通り話を聞いたメルボルン動物園の飼育係さんは残念そうな顔をすると、また僕の頭を優しく撫でる。
「私がメルボルン動物園で働き出したのは、ヒロキ君がここにいた頃よりずっと後なの。だから私はわからない、ごめんね。でも動物園にはヒロキ君を覚えている人が必ずいる。ちょっと待ってて────」

飼育係さんはそう言い、そして走ってどこかに向かう。その背中は優しくて温かい、僕の大好きなお姉さんと一緒の背中だった。

────人と動物達を繋ぐのは動物園だ。それは世界中どこの動物園でも変わらない。
  
  
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 しばらくすると飼育係さんがまた走って戻ってきた。
「昔のことに詳しい人を呼んできたの。ずっと動物園で働いてくれているガーデナーのおじいさんよ」と、息を切らせて言った飼育係さんの後から優しそうなおじいさんがゆっくりと歩いてきた。ユーラシア大陸で出会ったあの大きなおじいさんにどこか雰囲気が似ている。

「おやおや、ウォンバット達みんな集まっているんだね。それに見たことがない顔もいて今日は賑やかだ」
おじいさんは僕達を見て嬉しそうに微笑んだ。

 おじいさんは側のベンチにゆっくりと腰をおろし、かけていた小さな眼鏡を外した。
「日本に行ったウォンバット、その仔のことは覚えているよ」
おじいさんの話はその言葉から静かに始まった。
  
  
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「ここから500km北東に行った所に『Mount Bogong』という山がある。その森の中、あるウォンバットが一人道に迷いうろうろと歩いていたところを見つけた人がいた。そのウォンバットはまだお母さんと一緒にいなければいけないような“小さなウォンバット”だ。 その子は目の前からいなくなってしまったお母さんを探してずっと歩き続けていたんだろう。もうこれ以上歩けないほど疲れきっていた。辺りを探しても残念ながらその小さなウォンバットのお母さんの姿は無かった。そして小さなウォンバットはここ『メルボルン動物園』で保護することになった。大勢の飼育係、獣医がその子を看病していた────その小さなウォンバットはみんなの人気者だったのさ。 みるみるうちに元気になって、そこの庭を楽しそうに走り回っていたよ。 そしてある日、名前を付けてあげることになった。小さなウォンバットを誰よりも愛おしく看病していた獣医さんにちなんで『ヒロキ』という同じ名前が付けられた。そうだよ、その獣医さんは日本人なんだ。 それから少し経った頃日本の『YOKOHAMA』にウォンバットを贈ることになった。日本人の名前が付いているヒロキを贈ることに誰もが賛成をしたよ。もちろん獣医のヒロキもそのことを喜んでいた。大好きな“小さなヒロキ”に大好きな故郷日本でみんなの人気者になって貰いたかったのさ」

 そこまで話したところで、おじいさんは一度話を止め僕の顔をじっと見つめた。そして優しい顔で微笑み、大粒の涙をこぼした。
「君があの時の小さなウォンバット、ヒロキ君なんだね。もう会えないと思っていた。よく帰ってきてくれたね」

「そうです。僕はヒロキ、ウォンバットのヒロキです。大切なことを教えてくれてありがとう。それから、僕のことを憶えていてくれて本当にありがとう────」
いつの間にか僕の目からもたくさんの涙が溢れていた。
  
  
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────お客さん達、そして飼育係さん達みんなが呼んでくれる“ヒロキ”という名前、それは日本人の獣医『ヒロキさん』の名前だった。
そしてこの素敵な名前が無ければ僕は金沢動物園に行くことはなかったのかもしれない。

それはお姉さんにも会えなかったということだ────
  
  
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 僕は今の金沢動物園での暮らしを話した。おじいさんは「君が楽しく元気に暮らしているなら私も幸せだ」と喜んでくれた。そして「ヒロキ君が大好きだという“飼育係のお姉さん”にもいつか会ってみたいね」というおじいさんの言葉が僕は本当に嬉しかった。

「ところで“獣医のヒロキさん”は今何処にいるんですか?僕は獣医のヒロキさんに会いたいんです。看病してくれたこと、名前を貰ったこと、きっとそれで日本に行くことが出来たこと、色々なお礼をしたいんです」
僕がそう話すとおじいさんは涙を手の平で拭い、にこっと笑い優しく僕にささやく。

「獣医のヒロキは今は日本にいるよ。君が暮らす金沢動物園のある日本だ。君のすぐ側で獣医のヒロキは暮らしている。いつかきっと会える────日本で暮らしていれば会える日が必ず来るよ」

 僕の目からもう一度たくさんの涙が溢れていた。

────お姉さんが待っている金沢動物園に帰るんだ。獣医のヒロキさんに会える日を僕はお姉さんと一緒にオセアニア区で待つんだ。

「僕は日本に帰ります。僕の大切な家『金沢動物園』に帰ります。今日は本当にありがとう」
  
  
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 飼育係さん、そしておじいさんと一緒に動物園の出口に向かって歩いた。
大勢のお客さん達が園内を歩く僕と子供のウォンバットを見て喜び、写真を撮ってくれている。

「ヒロキ君というんですよ」と、おじいさんが紹介してくれた時だった。
「本当にあのヒロキなの?」という声が聞こえ、大きなカメラを持ったおばあさんが僕の傍でしゃがんだ。
おばあさんは僕の顔を優しく、じっと見つめ微笑む。
「歳をとってもあの時と変わらないね、本当にかわいいウォンバット。今日はどうしたの、里帰り? あれから何年経ったんだろうね、また会えるだなんて思ってなかったわ」と言って、僕達が揃って微笑む一枚の写真を撮る。
  
  
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少し戸惑い見上げた僕におじいさんが教えてくれた。
「聞いたことはあるかい? 昔ヒロキ君はある新聞の一面を飾ったんだ。それから大勢のお客さんが君に会いに来た。あの時メルボルンの人全員が君のことを知っていた。でも何年も経ってしまった今、寂しいことだけど忘れてしまった人もいる。でもこうして憶えてくれている人もここには大勢いるんだよ。君がはるばる帰ってきたと聞けばみんな嬉しいんだ」

────僕のことをいつまでも憶えてくれている人がいる。僕もみんなのことを忘れない。
そうだ、僕はオーストラリア大陸で産まれ、少しの間ここで暮らしていた。その大切なことを僕はいつまでも忘れない────

優しい人達が僕に話してくれたんだ。これならきっと忘れない。  
  
「それじゃ、気を付けて。いつまでも元気に、楽しく暮らすんだよ」
 飼育係さんとおじいさん、そして大勢のお客さん達に見送られ、僕と子供のウォンバットはメルボルン動物園を後にした。
  
  
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「こうしてオーストラリア大陸を歩くことは最後かもしれない────」と思いながら帰り道を大切に歩き、ウォンバット達が待っているドアがある場所まで戻った
。待っていてくれたウォンバット達にメルボルン動物園でのことを話し、「僕は金沢動物園に帰るよ」と言った。

「これでヒロキ君の旅が本当に終わるんだね」と、ウォンバットの一人が言った。
────そうだ僕の旅はこれでおしまい、ドアをくぐればそこは金沢動物園だ。お姉さんが待っている。

「オーストラリア大陸は本当に楽しかったよ。それに大切な話も聞くことが出来た。みんな、ありがとう」と僕はお別れを言い、ドアをノックした。

 様子が変だった。ノックしても音がしない。何度ノックしてもドアは開かない────そう何度も、何度ノックしてもドアは開かなかった。
ノックし続ける僕の傍で女の子のウォンバットが泣きだした。
「やっぱり開かないんだ……私、聞いたの。私の前に現れたウォンバットの神様に聞いたの。『ドアはもう開かない。時間が来てしまった、あの時戻ってはいけなかった』って、そう聞いたの。もう金沢動物園には帰れないかもしれない。いつになるかわからないけど迎えにこれる日が来るまで、ここで私達と暮らすしかないって言っていたの」

 僕は「怖くて言い出せなかった」と泣きじゃくる女の子のウォンバットを「大丈夫だよ」と言ってなぐさめ、話の続きを聞いた。
ウォンバットの神様は「ウォンバットがオーストラリア大陸で暮らすこと、それ自体は決して悪いことじゃない」と言い残し、アメリカで暮らすウォンバットが行く旅の手伝いに出かけたと言う。そうだ僕一人にかまってばかりはいられない。順番がずっと先まで決まっている────ウォンバットの神様は世界中のウォンバットの幸せを願い、助けているんだと僕は考え、そして納得した。

────メガネグマが言っていた「旅をずっと楽しむため、そのための余裕────」、クマ達が作ってくれたその余裕の時間も僕はいつの間にか使い切っていた。そういうことなんだ。
  
  
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女の子のウォンバットはまだ泣いている。

「ウォンバットの神様がいなければドアは開かないんだね。僕が悪いんだ、あの時後戻りしてしまったから。あのまま金沢動物園で待っていれば、いつか獣医のヒロキさんに会えたかもしれない。おじいさんに聞いた話と同じようなことを、お姉さんや獣医のヒロキさんから教えてもらえたかもしれない。ドアが現れたら先に進むことが大切だったんだ。南極点で地球が回転するための芯棒を僕は見た。あの芯棒に僕は教えてもらっていたはずなんだ。地球は逆には回らない、過ぎた時間は戻せない────そう、いつも前に進まなければいけないってことをね」

────僕はあの時、大切なことを忘れてしまっていたんだ。

「ヒロキさん、ごめんね。僕が動物園に行こうだなんて言ったから────」と子供のウォンバットが落ち込んだ声で言う。

「そんなことない、君のせいじゃないよ。何も言われなくてもきっと僕は戻ってた。お姉さんには申し訳ないけど、どうしてもメルボルン動物園に行きたかったからね」と僕は言い、子供のウォンバットの頭を何度も撫でた。
「いいじゃないか、みんなと一緒にここで暮らそう。いつかウォンバットの神様が迎えに来てくれるんだろ?大丈夫だよ。それともやっぱり、少しでも早く金沢動物園に帰りたいのかい?」と、ウォンバットの一人が言った。
「本当は帰りたい。飼育係のお姉さんや動物達、そして僕のことを憶えてくれている人達が待っている。でもしかたがない、もうドアは開かないんだ」

 空はあいかわらず暗く曇っていた。今にも雨が降ってきそうだった。
  
  
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「ヒロキさん」と、近くのユーカリの木から声が聞こえた。あのコアラの赤ちゃんの声だ。

「ここだよヒロキさん。今みんなのお話をここでお母さんと聞いてたの。ユーカリの木の上で帰り方を一緒に考えようよ」と、コアラの赤ちゃんは言う。ウォンバットが木に登れないことをまだ知らないのかもしれない。コアラのお母さんも笑っている。

僕はユーカリの木の下からコアラの赤ちゃんを見上げ、そっと微笑む。
「駄目だよ、ウォンバットは木には登れないんだ。そのかわりウォンバットは穴を掘ることが出来るんだ────」
────僕がそう話した次の瞬間だった。

「そうだ、穴だ!トンネルを掘ろう!」
 何かをひらめいたウォンバットの一人が叫んだ。そしてウォンバット達全員がそのことに気がつく。

「ここから日本までトンネルを掘ればいいんだ!そうすればヒロキ君は金沢動物園に帰ることが出来る!」と、ウォンバット達は言う。

凄いこと、普通じゃ考えもしないこと、この旅は動物達に導かれ、動物達とともに進む。全てがどこか特別なことで進んでいく。

 オーストラリア大陸から金沢動物園まで海を越え長く深く続いていくトンネル、僕はそんな凄いトンネルを頭に思い浮かべた────ウォンバットなら出来るかもしれない。

────もう金沢動物園には戻れないと一度は覚悟した。でも大丈夫だ、僕はまた飼育係のお姉さんに会うことが出来る。
ウォンバット達が掘ってくれるトンネルで、僕はすぐに金沢動物園まで帰ることが出来るんだ。
  
  
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「オーストラリア大陸のウォンバット全員に声をかけろ。きっとみんな協力してくれる」と、誰かが言ったのをきっかけに、ウォンバット達は走りだし、オーストラリア大陸で暮らす仲間を呼びにいった。

「ありがとう」僕は走り出したウォンバット達を見送りお礼を言った。すると一人のウォンバットが足を止めて振り返り笑顔で言った。
「これから始まろうとしているのは僕達ウォンバットの冒険だ。君が素敵な旅と凄い冒険をしてきたように、今度は僕達も旅と冒険をするんだ。トンネルをみんなで掘るのは君のためでもあり、そして私達オーストラリアに暮らすウォンバットのためでもある。なんだかわくわくしてくるんだよ」

────そうだ僕も今わくわくしている。僕もみんなと同じ、ウォンバットだ。

 しばらくすると遠くの方からこちらへと動物達が集まリだした。
前を見ても後ろを見ても、右を見ても左を見ても────凄い数の動物達が僕の方へと歩いてくる。

────ウォンバットだ。僕のため、そしてウォンバット達の旅と冒険のために集まったウォンバットだ。

 僕の周りに集まった見渡すかぎりのウォンバット────

 その数は百万匹。そう、百万匹のウォンバットだ
  
  
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「行くぞ!日本に向けて出発だ!」 「まずはオーストラリア大陸の北にある海岸を目指し歩くんだ!」
百万匹のウォンバットの声がオーストラリア大陸を埋め尽くす。ウォンバットの声は小さい。でも百万匹の声はどんな動物の声よりも大きな力強い声だった。

 僕は百万匹のウォンバットと一緒に、オーストラリア大陸を北へと歩き出す。この瞬間からウォンバット達の旅と冒険が始まる────“ドアはもう開かない”と、落ち込んだことなんかもう忘れていた。集まってくれた百万匹のウォンバットもきっと同じ気持ちだろう。

この瞬間の僕は今────そうだ、最高の気分だ。

 百万匹のウォンバットはオーストラリア大陸を北へ北へと歩き、山を越え森を抜けていく。すると遠くに海が見えてくる。珊瑚礁が輝く綺麗な海だ。
海の香りが僕の平たい鼻に当たる。海には水平線が広がっている。ホッキョクグマと見た水平線の先には北極点があったはずだ。今見ている水平線の先にはきっと日本がある。僕は百万匹のウォンバットと一緒に、あの綺麗な海を越えるトンネルを堀り、トンネルを抜け、その日本まで行く。

 広がる海を眺めながら歩き続け、百万匹のウォンバットは海岸に辿り着いた。

 小柄で黒っぽい毛のウォンバットが海とオーストラリアの風景を交互に見つめ何かを一生懸命に考えている。そして「この方角で間違いない────」と一言呟き、周りに集まったウォンバット達とトンネルを掘り始める場所の相談を始めた。その黒っぽい毛のウォンバットは渡り鳥とよく話しをしていて、とても地図に詳しいという。

「やっぱり日本もオーストラリア大陸の様に広くて大きな大陸なのかい?」と、僕のすぐ隣にいたウォンバットが訊いてきた。
僕は日本についてふと考えた。きっとこの旅で見てきたような綺麗な景色がどこか色々な所にあり、大勢の動物達が暮らしているんだろう。

「日本は大陸じゃなくて、島国だと飼育係のお姉さんに聞きました」
僕がそう答えると、そのウォンバットは「なるほど」と言って何度か頷き、僕に一言だけ言って微笑んだ。
「六つの大陸と一つの島、それが君の旅だ」

 六つの大陸と一つの島。そうだ、僕の旅は六つの大陸だけで終わらなかった。
最後にもう一つ、百万匹のウォンバットと一緒の大切な旅が残っていた。

大好きな金沢動物園へ帰る────それだけだけど、それは素敵な冒険の旅だ。
  
  
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 僕を呼ぶ声が聞こえてくる。どうやらトンネルの掘り始めの場所が決まったようだ。オーストラリア大陸とお別れの時だ。

 見上げた空はいつの間にか綺麗な青空へと戻っていた。旅の途中で見てきた空と同じ、どこまでも続く綺麗な青空だ。旅をするのならやっぱり晴れた日がいい。

────僕が産まれたオーストラリア大陸、さようなら。僕が暮らしたメルボルン動物園、さようなら。色々な景色を見て、大勢の動物達に会いそして大切な人達と出会えました。僕は素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。

「ありがとう、そして今日はさようなら」

 僕はどこまでも広がるオーストラリア大陸を見渡し、しっかりと記憶した。この風景を、素敵な思い出を絶対に忘れないように────
  
  
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「方角は向こうだ、曲がっちゃったりしないように」と、大きな声をあげ地図に詳しいウォンバットが百万匹のウォンバットに指示を出している。
丸く広がり眩しく輝く水平線の彼方に、お姉さんと金沢動物園が見えたような気がした。

 最後は百万匹のウォンバットと一緒の僕の旅。ここから先は冒険だ────

「僕から掘るぞ、みんな用意はいいかい?」と、先頭に立つウォンバットが現れた。その薄茶色のウォンバットが掘る穴はオーストラリアで一番なんだとみんなは言う。見れば、身体はあまり大きくないが鋭い眼差しで正面を真っ直ぐに見つめ、毛深い両手両足がとても力強い。穴掘りが得意だということが全身から伝わってくる。

「オーストラリアで一番の穴掘りをするウォンバットか────」と、僕はその薄茶色のウォンバットに憧れた。

 地面の土が高く舞い上がった。先頭を進む穴掘りが得意なウォンバットが掘っていく後を次のウォンバットがさらに掘り、その後をまた次のウォンバットが土を後ろにかき出していく。その繰り返しで百万匹のウォンバットはトンネルを掘っていく。凄いスピードだ。これが僕達ウォンバットに出来る仕事だ。

ウォンバットは木には登れない。だけど穴を掘ることが出来る────それはきっと特別なことだ。コンドルやペリカンなら空を飛んでいくだろう。魚やイルカ、そしてジンベイザメなら海を泳いでいくだろう。
でも僕達はウォンバットだ。トンネルを掘って海を越えるんだ。
  
  
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 どこまでも深く、先へ先へと百万匹のウォンバットはトンネルを掘っていく。
僕はみんなと同じような勢いで掘りたくてもなかなか上手に掘ることが出来なくて少し戸惑う。

「これだけのウォンバットが集まったんだ。ヒロキ君は少し手伝ってくれるだけでも大丈夫」と、オーストラリア大陸で初めに声をかけてきてくれた大きなウォンバットがそんな僕を見て優しく微笑む。どんどんと掘り進む百万匹のウォンバットの力は何よりも凄かった。

「気を付けて!少し右に曲がってしまっているみたいだ」と、地図に詳しいウォンバットがまた大きな声で指示を出す。
トンネルはうねるようにと前へ前へと進んでいく。そのスピードはいつまで経っても衰えない。それどころか、徐々に速くなっていっているような気にさえなる。

 先頭はどこまで進んだのだろう、あとどのくらいで日本に着くのだろう────と思ううちに、百万匹のウォンバットが辿り着くゴールが僕の頭の中に浮かんでくる。すると「楽しかった旅もそのうち終わる────」と、また僕は考えてしまう。しかたがないけど今でも少し寂しい気持ちになる。
僕はそんな気持ちを振り払うように小さな声で呟いた。
「大丈夫、この寂しい気持ちもきっとすぐに思い出へと変わる。今まで続けた旅のことと一緒に素敵な思い出に変わる。僕は今こうして百万匹のウォンバットと一緒に旅を、ウォンバットの冒険を楽しんでいる。きっと大丈夫だ────」

────今度僕が見上げる空は綺麗な青空なのだろうか、それとも星が輝く素敵な星空なのだろうか
僕は目の前の土を掘りながらふとそんなことを考える。そして「あと少しで帰ります。最後まで心配ばかりかけてごめんなさい」と、金沢動物園で僕の帰リをきっと待ってくれている、そんな飼育係のお姉さんの顔を思い浮かべいつもより少し大きな声で呟いた。
  
  
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 「楽しいね!」
その声が聞こえた方へ目をやると、女の子のウォンバットと子供のウォンバットが顔を土だらけにし、二人共笑顔でトンネルを掘っていた。僕もそんなウォンバット達に負けないように一生懸命に掘り続ける。

 僕は動かしていた手足を一度止め、いつもの様に毛づくろいをした。
ふと後ろを振り返ると伸び続けたトンネルが凄い長さになっている。じっくり眺めてみても綺麗で歩きやすそうな本当に素晴らしいトンネルだ。
百万匹のウォンバットはこの素晴らしいトンネルを夢中で掘り続ける。無事に日本まで繋がる瞬間を待ち望み、そして楽しみながら掘り続けている。誰も嫌な気持ちでやっているわけじゃない。

僕も百万匹のウォンバットも、今ここにいるみんなが同じ気持だ────同じ気持で旅と冒険を続けている。

 オーストラリア大陸を出発してからかなりの時間が経った。百万匹のウォンバットの口数は減り、少し疲れてきているように見えた。
「心配だな」と思ったその時だった。先頭の方から僕を呼ぶ声が聞こえた。

「そろそろ日本に着きそうなんだ。ヒロキ君、最後は君が掘るんだ。それがいい」と、地図に詳しいウォンバットが一人自信満々に頷いている。そういえば、少し前からトンネルは上り坂になっている。

「このすぐ先が金沢動物園────」と呟き、色々なことを思い出し想像して僕は緊張する。
 列の先頭までいった僕は目の前の土を軽く触ってみる。土は柔らかく掘りやすい。

「出口まで後少し、後少しさ。さあ、繋げるんだ。オーストラリアと日本をトンネルで繋げるんだ」と、今までずっと先頭を掘ってきた穴掘りが得意なウォンバットが泥んこの手で鼻をこすり微笑んでいる。

────後少し掘るだけでいい、この先はきっと金沢動物園だ。

 みんな同じ様に緊張するのか、息を飲むように静まり返った百万匹のウォンバットに見守られ、僕は目の前の土を掘った。
  
  
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「あっ!」
びっくりするほど簡単に穴が空いた。

外の爽やかな空気が風となりトンネルの中に勢い良く吹き込む。僕はその風を全身で受けながら穴を広げ、そして外に出た。
 トンネルの中から地図に詳しいウォンバットが訊いてくる。
「ヒロキ君、今君がいるそこは何処だ?」

「────ここは、ここは僕の家です。みんなで掘ったトンネルは金沢動物園のオセアニア区、僕の家に繋がりました」

百万匹のウォンバットが掘り続けたトンネルは、信じられないことに僕が暮らしている家の庭まで正確に繋がっていた。
時々昼寝をしたり、穴を掘って遊ぶ庭の隅────ヤマモモの木の下、その木陰になる場所だ。

「本当に日本まで来たんだ!」 「ウォンバットのトンネルが繋がったんだ!」
百万匹のウォンバットが大きな声をあげて喜んだ。そしてトンネルの中から次々と飛び出してくる。もちろん僕の庭だけでは百万匹のウォンバットは入りきれない。

オセアニア区を、動物園中をウォンバットが埋め尽くしていく。
今まで誰も見たことがない、誰の想像さえも超えた動物園。この様子をもし見ることが出来たなら誰の心もきっと踊る、そんな金沢動物園になっていく。
  
  
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 僕は空を見上げる。トンネルから出て初めて見る空は素敵な星空だった────

百万匹のウォンバットに負けない数の星がキラキラと輝く夜空が広がっている。
オセアニア区の動物達が大好きな“大きなユーカリの木”が明るい夜空にその姿を影絵のように映し、広場を埋め尽くした百万匹のウォンバットの背中に長い影を落としていた。

この時間、飼育係のお姉さんは動物園にはいない。きっと自分の家でぐっすりと眠っている。
会ってきた動物達がみんなで笑い、見てきた景色がどこまでも繋がり広がっている────そんな旅の夢を見ているかもしれない。

「お姉さん、着きました。僕は今金沢動物園に帰ってきました。百万匹のウォンバットと一緒です。夜が明け動物園にお姉さんが来たらみんなのことを紹介します。最後の旅、冒険のことを話します。そしてメルボルン動物園で聞いた大切なこと、大切な人達のことを話します────」

 百万匹のウォンバットは楽しそうに走り回り、そこいらじゅうで大騒ぎしている。
オーストラリア大陸からトンネルを掘り海を越え、初めての旅と冒険をして日本に来たんだ。動物園の動物達に会って欲しい、日本から見る星空や色々な物を見て楽しんで欲しい。なにより笑顔になって欲しい。

────金沢動物園の動物達、良かったらみんなと一緒に遊んでください。海を越え一緒にここまでやって来た僕の優しい友達です。もし寝ているところを起こしてしまったらごめんなさい。
  
  
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 僕の旅は金沢動物園に帰ったところで締めくくる。でも百万匹のウォンバットの旅と冒険はまだ続いている。みんなの楽しい時間はまだまだ終らない。
『金沢動物園を埋め尽くした百万匹のウォンバット』それが長い旅のエピローグだ。

「ウォンバットの神様、素敵な旅が終わります。僕の失敗で色々な心配をかけてしまったと思います、許してください。僕は無事に帰ってこられました、僕のことを百万匹のウォンバットが助けてくれました。そして忘れられない思い出がたくさんできました。また今まで通り金沢動物園で静かに暮らします。僕には産まれてすぐに人との結びつきがあったという話を聞きました。それは大切なこと、そうですよね────僕はウォンバットのため、そして動物園で暮らす動物達と人とを繋ぐためにこれからもここで暮らします」

今どこにいるかもわからないウォンバットの神様に向かって僕なりの思いを伝える。
そしてウォンバットの神様の姿を百万匹のウォンバットの向こう側に思い浮かべ「ありがとう」と、何度もお礼をし、もう一度星空を見上げ微笑んだ。

────今ウォンバットの神様は何処を旅しているのだろうか。一緒に旅をしているウォンバットは何を見て、誰に会っているのだろうか。

 トンネルの出口に一人残った僕は、久しぶりの僕の庭をくまなく見て回った。前と何も変わらない僕の庭だ。綺麗に丁寧に掃除がされている────きっとお姉さんがしてくれたんだろう。

そのまま坂道を歩き部屋へと向かう。登った先にある部屋へのドアは開いていた。
僕はそのドアの向こう側をそっと覗いてみる、もう旅の始まりのような不思議な光景じゃない。ちゃんと部屋の中が見えている。
そこには暖かそうな干し草のベッドと美味しそうな草とお芋が用意されていた。
「いつもありがとう」と、今度はお姉さんの顔を思い浮かべ小さな声で言うと、思いがけず涙が溢れる。
僕の小さな目には全部を溜めきれず、すぐにぽろぽろとこぼれ落ちていった。
  
────このドアから始まった旅が今終わる。朝が来れば“僕と金沢動物園の楽しい毎日”がまた始まるんだ。ただ今までと違うことが一つある。それは木陰の所にトンネルの穴があるということ────

百万匹のウォンバットが掘った日本とオーストラリア大陸を繋ぐ長いトンネル、その入口の穴が誇らしげに開いているということだ。
  
  
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 涙を拭うと、ふいに大きなあくびが出た。六つの大陸で長い距離を歩き、百万匹のウォンバットと一緒にトンネルを掘り続けた僕は疲れていた。
僕は部屋に入り、暖かい干し草のベッドにゆっくりと横になる。百万匹のウォンバットが遊ぶ賑やかな声が部屋の外から次々に聞こえてくる。

「ありがとう、みんなのおかげで金沢動物園に帰ってこれたよ。もう会えないと思った飼育係のお姉さんに明日からまた会うことが出来る。これからも金沢動物園で一緒に暮らすことが出来る。ただ僕は少し疲れてしまった、今日は先に眠ることにするよ。また明日一緒に遊ぼう。おやすみなさい、百万匹のウォンバット────」
僕は今にも閉じてしまいそうな小さな目を必死に開け、百万匹のウォンバットに少しでも届くように声を出した。
この小さな声が誰かに届いたかどうかはわからない。でも僕はとても満足な気持ちでいた。

────旅と冒険で、僕は夢を見るための準備がたくさん出来た。きっと今日これから見る夢は、百万匹のウォンバットと遊ぶ夢、そんな楽しい夢だ。
夢の中で旅の続きを始めよう。まだ見たことがない景色をみんなと一緒に見て回ろう。そうだ、日本で暮らすウォンバット達の所へみんなで行くのも楽しそうだ。それに目が覚めてしまっても大丈夫、僕はいつでもあのウォンバット達に会うことが出来る。みんなが夢中で掘ったあの長いトンネルを歩いていけば、そこは僕の大好きなオーストラリア大陸だ。

そうだ、今度はお姉さんと一緒にトンネルを歩いていこう────そうだ、それがいい。
  
  
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 部屋の窓には“おでこにしわ模様”のウォンバットが眠そうに優しく微笑んでいる。それは長い旅を終えた僕の顔だ。
「楽しかったね」と窓に映る僕にささやき、ゆっくりと眠りについた。

 “六つの大陸と一つの島”の僕の旅、それは今静かに大切な思い出へと変わるんだ。
  
  
  
  
続く
  
  






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by bon_soir | 2018-08-10 09:51 | 金沢動物園 | Comments(0)