金沢動物園で暮らすコアラ、ハヤト
オセアニア区にまたやって来た“8月”
それはあの日からもうすぐ1年だということをみんなに知らせる、ただ暑い夏の月
「ちょっと前からそうなった。窓の外を眺めれば白いんだ」
「空の雲と一緒だろ、あの白さはあの雲たちと一緒だろ」
「僕にはわかる。もう僕は色々なことがわかるんだ。話を聞いたり夢に見たり、みんな合わせて考える。僕はもう赤ちゃんじゃない」
「一緒に暮らすみんなのことだってわかるよ。顔を見れば仕草を見れば、笑顔を見れば──そして涙を見れば」
「僕は感じるんだ。毎日毎日たくさんのことを、ずっと感じて考えているんだ」
「雨が変わった。さっと降ってすぐ晴れる。静かで長い雨ばかりだった梅雨は過ぎた」
「今も雨は降っている。大丈夫、心配はいらない」
「すぐ止むよ」
「ほらね、止んだだろ。雨に少し濡れた大きなユーカリの木が光っているよ」
「今日も外は暑そうだ。なんだか眠くなってくるよ」
「昨日バニラさんのが静かに一人泣いていた。僕はその涙の訳が最初わからなかった」
「僕はその訳を自分からは訊かない。きっとバニラさんの方から教えてくれるって何故かわかっていたんだ」
“サルスベリ──”
「バニラさんは窓の外のピンク色のお花を見て一言呟く」
「そして涙の溜まった目でそっと笑って僕に言う」
“──あれから初めての8月24日がやってくる”
「小さな声でそう言ったんだ」
──夢の中、僕の目の前にはあの部屋だ
窓の扉が閉まっていても何かを感じる、温度を、温かさを感じる
そんなあの部屋だ──
庭にはたくさんの“エノコログサ”
名前はバニラさんに教えてもらった
キウイの蔓に手が届きそうだ
コアラならそのまま上に登っていけそうだ
──そうだ、1年だ
8月24日、その日まで
あともうすぐで1年だ
「今日も自然と目が覚める。今何時だろう?」
「そろそろだ。またあそこで待ってよう」
「ユーカリ交換の音楽が流れる。タイミングはばっちりだ」
「お母さんは起きてるかな?」
「良かった。起きてそうだ」
「やっぱり自分じゃ開けられない」
「待っていよう」
「待ってたんだよ」
「ありがとう」
僕はいつもの様にお母さんのところへと急ぐ
時間はあまり無い
「ぐずぐずしてはいられない。それも知っているんだ」
「お母さん」
「お母さんはヒロキさんとお話したことはあるの?」
「僕の1年前はポッケの中の小さな赤ちゃん。ヒロキさんどころかまだ何も見たことがない、そんな1年前なんだ」
「僕はヒロキさんの夢を見たい、みんなが大好きだったって言うヒロキさんの笑顔を見たいんだ」
「僕もこの先会うのかな?みんなのヒロキさんのような、誰か──素敵な誰かに会えるかな?」
「バニラさんは言っていた。心にいつまでも残る大切な出会いはある、いつか必ずそんな時が来る」
「オセアニア区の動物達にとって──1年前くらいまで、それまで金沢動物園に来た人達にとってヒロキさんがそうだったっていうことを聞いたんだ」
「僕はこの先誰に出会うかな?金沢動物園に来るお客さんはこの先誰に会うのかな?」
「大切なこと。出会うこと、それはきっと大切なことだろう?」
「動物園に来る人達は動物達に会いに来る」
「そしてかけがえのない出会いをいつかするんだ」
「それは最初から求め、探しにくるのかもしれない」
「突然そんな気持ちになるのかもしれない」
「動物園の動物達にはどんな出会いがあるんだろう」
「優しい飼育係さんにはみんな会う。みんな最初に会っている」
「次の出会い、大切な出会いは誰なんだろう。動物なのか人なのか──それはまだわからない」
「ここで会うのか、それともどこか遠くで出会うのか──まだ何もわからない」
「どんなことを言ったってお母さんはただ笑っている」
「急がなくてもいいんだよ、って笑って言う」
「暑ぃ夏がくるたびに──違う、毎日毎日いつも心で思うような出会いはやってくる。誰の所にも必ずやってくる」
「バニラさんは言っていた。お母さんも優しく言う。心にいつまでも残る大切な出会いはある、いつか必ずそんな時が来る」
「“出会い”の反対側の日、8月24日がやってくる。オセアニア区に8月24日がまたやってくる」
「ヒロキさんに出会った動物、人達が涙を溢す。そんな日がやってくる」
「今は誰もいないあのお部屋、誰も眺めていないあのお庭」
「あそこはたくさんの出会いが生まれた大切な場所なんだ」
「お母さんは言う」
「僕との出会いをそう思っている人もいるかもよ、って、にこっと笑って小さな声で言う」
「そうなのかな、って僕は少し照れる」
「そうだ、僕は出会っているのかもしれない。大切な出会い、まだ気がついてないだけなのかもしれない」
「まだ何もわからない。急がなくていい──そうだ、お母さんの言うとおりだ」
「バニラさん、8月は去年もこんなに暑かったのかい?」
「そうだね、8月はいつだってこんなに暑いんだ」