ある日の夕暮れ、動物園の閉園前にテルちゃんはコアラ舎の外をずっと眺めていました。
窓の外に見えるオセアニア区の大きなユーカリの木をずっと眺めていました。
テルちゃんの隣で暮らすバニラはそんなテルちゃんをじっと見ていました。
「最近のお母さんはいつもそう、夕暮れになるとああして外を眺めている。お父さんが外にいるわけでもないのに」
バニラは少し心配していました。小さかった頃、テルちゃんに一生懸命しがみついていた時の記憶がふと思い出されます。
お母さんの柔らかさ、お母さんの匂いやふわふわのお腹、そしてお母さんのポッケの中の暖かさ。
バニラはまだまだ小さなコアラです。色々考えているうちに眠ってしまいました。
バニラは楽しい夢を見ていました。お昼に飼育係りさんから聞いたキリンの赤ちゃん、ホップ君の夢です。
バニラはまだホップ君に会ったことはありません。それでも夢を見ることができました。
さっきまで明るかった夕暮れの空に、気がつけば星が輝きだしていました。
オセアニア区も夜になりました。
バニラはずっと眠っていました。今日もコアラ舎の床をたくさん歩いたバニラは少し疲れていたのです。
お庭を走るかわいいホップ君のはっきりとした夢を見ているバニラ、眠りながら少し笑っています。
「バニラ、お母さんは出かけてくるね、いい子にしててね」
眠っているバニラにテルちゃんはそう声をかけていきました。
テルちゃんはコアラ舎のドアをそっと開けて、夜のオセアニア区に出て行きました。
いつもお部屋から眺めていた大きなユーカリの木が月に照らされて、地面に大きな影を作っています。
おなじように大きく伸びたテルちゃんの影はてくてくと歩き、大きなユーカリの木に向かっていきました。
朝が来てバニラは目を覚ましました。ウメがまだ寝ているのが見えます。
バニラは気がつきました。テルちゃんの姿が見えません。何度も探してもお母さんはコアラ舎の中にはいないのです。
「お母さん、どこにいるの……」
ここのところあまり元気の無かったお母さんのテルちゃんを思い出し、バニラはとても心配になりました。
「今なら間に合う、早くしないと」
バニラはなにかひらめいたようにそうつぶやき、あたりを見渡しました。
「お母さんはあのユーカリの木を登っていったんだ、きっとそうなんだ」
コアラ舎に飼育係のお姉さんはまだ来ていません。バニラはドアまで足音を立てないように歩き、そっとドアを開けてみました。
「やっぱり開いてる。お母さんもこのドアを開けて外に出たんだ」
バニラはドアをくぐり、朝日が照らすオセアニア区に出ました。
いつもお部屋の窓から眺めていた大きなユーカリの木、その大きなユーカリの木が今は目の前に立っていました。
見上げた大きなユーカリの木、そのてっぺんは下からではわかりません。大きなユーカリの木は雲を超えてそびえ立っていたのです。もちろんテルちゃんの姿も見えませんでした。
「お母さんはきっと上のほうまで登っていったんだ、私も登っていかないと」
バニラは小さな手と足、そのかわいい体で一生懸命に大きなユーカリの木を登り出しました。
それは簡単な事ではありませんでした。でもバニラは登って行きました。大好きなお母さんにもう一度触りたい、その事だけを今は思っていました。
少しずつバニラの姿が上に登っていきます。
今日は早起きをしていたウォンバットのヒロキがバニラに気がつき、そっとつぶやきました。
「ウォンバットは木には登れない。だからここから君を応援することしかできないよ」
ヒロキはいつもの優しいまなざしでバニラを見つめています。
「女の子にも冒険がある。それはかわいい冒険のようだね」
初めは緊張していたバニラも、しばらくして少し余裕が出て来ました。もうずいぶん上まで登ってきていました。気持ちのいい風がバニラの横を通り抜けていきます。
バニラは大きなユーカリの木の上から辺りを見渡してみました。
初めに見えてきたのは、オグロワラビーさんたちです。
「はじめまして、私がコアラのバニラです。気持ちよさそうなお庭ですね」
バニラは楽しくてしかたなくなって来ました。産まれて初めて見る金沢動物園の景色がバニラの瞳を輝かせてくれます。
遠くにローランドアノアのサツキさんが見えます。
その近くには綺麗なチューリップのお花が見えて来ました。ほのぼの広場です。
「きっとあなたがポポちゃんね、本当にまんまるなのね」
ほのぼの広場の新しいお友達の子羊達も見えました。
「あなた達はふわふわ。かわいいね。そこから私が見えますか?」
最高の景色、金沢動物園の景色はバニラの頭の中にしっかりと残っていきます。
バニラは今日も夢を見るための準備をしていきます。
飼育係のお姉さんがコアラ舎に着いた時、コアラ舎にはウメしかいません。
もちろんオセアニア区は大騒ぎです。
ヒロキだけが知っています。バニラがどこにいるのかを。そしてまた小さな声でつぶやきます。
「バニラは大丈夫、今日はいいお天気だからね」
少し休んだバニラはまた大きなユーカリの木を登り出しました。
お母さんのテルちゃんを探す事はもちろん、もっと遠くまで金沢動物園の景色を眺めたくなってきていました。
バニラは小さな手と足、そのかわいい体でどんどん上に登っていきます。バニラは自分に少し自身が出てきていました。
青空が広がる金沢動物園、次に見えてきたのはアメリカ区です。
オオツノヒツジさんが山のてっぺんで休んでいます。
そしてプロングホーンのブッチ君がのんびりとお散歩をしています。
「みなさんこんにちは。私はコアラのバニラです。お母さんと暮らしています」
八重桜のピンク色を見ました。バニラにとっては初めて見る桜のピンク色です。
そしてバニラは気がつきました。キリンのホップ君です。
「はじめまして。コアラのバニラです。あなたのことは昨日夢で見たの」
「あなたの首なら景色が遠くまで見えそうですね。少しうらやましい。楽しいことをいっぱい見れる」
お母さんのミルクに気がついたバニラ。
ふと自分のお母さんのテルちゃんを思い出しました。
「お母さんはどこまで登っていっちゃったんだろう……」
ふと上を見上げたバニラは、上からテルちゃんが降りてくるのに気がつきました。
「お母さん!やっぱりこのユーカリの木に登っていたんだね。心配でここまできたの」
バニラの声でびっくりしたテルちゃんは、泣きだしてしまいました。
そしてバニラに話しだしました。
「バニラ、ごめんね。お母さんはなんだか寂しくなっちゃって、お母さんのお母さん、バニラにとってはおばあちゃんに会いに行こうと思ってたの」
テルちゃんのお母さん、ワミンダさんです。まだテルちゃんが小さかった頃、残念ながら亡くなってしまっていました。
「おばあちゃんはこの大きなユーカリの木にいるの?」
バニラはテルちゃんに訊きました。
「わからない、けどきっと空の上から見守ってくれているってずっと思ってた。だからこの大きなユーカリの木に登っていけば会えるって考えてたの」
テルちゃんは少し微笑みながらお話をします。
「途中でお母さんの声が聞こえてきた。まだまだこっちに来ちゃ駄目だって。これからもずっと金沢動物園でバニラや飼育係のお姉さんと楽しく暮らさないと駄目なんだって」
バニラにもテルちゃんの言っていることがわかりました。
「そうだよ、お母さん。お母さんがいなくなっちゃったら私だってさみしい。どうしていいかわからなくなっちゃう」
「ごめんね、もうこんな事考えないから。バニラに私と同じさみしい、悲しい思いをさせちゃいけないね」
バニラはお母さんに触りました。久しぶりに触るお母さんのふわふわした体です。
お母さんの体は変わらなく暖かいと思いました。
「帰ろう、お母さん」
「帰ろうね、バニラ。みんなが待ってる。でもあんなに小さかったバニラが、こんなに高くまでユーカリの木に登れるようになったんだね。それだけでも嬉しい」
バニラは少し微笑んで言いました。
「お母さん、金沢動物園は広いね。たくさんのお友達も暮らしている。今度は二人で一緒に登ってこようね、この大きなユーカリの木に」
バニラは少しお姉さんになれたようです。色々な事を経験してみんな少しずつ大きくなっていきます。
「今度産まれたウメさんの赤ちゃんにも教えてあげなくっちゃ。ね、お母さん」
フジくんに続く第2弾ですね。
かわいいお話ですねえ。
私もバニラについて行って、ユーカリの木の上から、金沢動物園を眺めたような気持ちになりました。
バニラは幼いけれど、しっかりと登ってゆきます。が、わたしは、下を見ないようにしながら、ビクビクしながらのぼっています。
そんな思いで読んでましたので、時々足がすくんでしまいました。
バニラのおかあさんへの想い。ウメさんの赤ちゃんへの想い。バニラは素敵なコアラのお姉ちゃんに育ったのですねえと、感心しています。
素敵なお話をありがとうございます。
バニラが、今日も楽しい夢をみられますように お願いしておこう!
コメントありがとうございます。
お返事がおそくなりました。
私も先日かわいいお知らせを見てきました。ウメちゃんもとうとうおかあさんになったんだなあと、あらためてしみじみしました。
赤ちゃんに会うのが
本当に待ち遠しいですね。
そしてウメちゃんがどんな子育てをするのか
いまから本当に楽しみです。
金沢動物園のコアラたち、
みんな金沢生まれなんですよね。
本当に本当に大切な宝物たちだと思います。
できるだけかわいくて姿を残して行きたいと思っています。
…が、ウメちゃん
ただでさえ、写真が撮りづらいので
どれだけ撮影できるか、ちょっと心配です。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
お返事がおそくなりました。
バニラと一緒に、こまちさんもユーカリの冒険をしてくれて
本当にうれしいです。
バニラも心強く思ってくれているでしょう。
なんていっても、甘えん坊のバニラですからね。
みんなが見守って、お友だち、いやおかあさんのような気持ちで
応援していると思います。
バニラは今夜はどんな夢をみているのでしょうね。
ちょっと風が強いので
木登りはあきらめて、ヒロキの掘った穴で楽しく過ごす夢かな……。