イコロと上野動物園のモノレール
ユキオが遠く高い所へ旅立ってからちょうど一年経った日の昨日
デアの涙を見たイコロはどうしても眠れないまま、いつもと同じような朝を迎えていました

庭へと出たイコロは空に浮かぶ秋の雲をぼんやりと眺め、一人考えていました
a0164204_03081864.jpg
「デアは確かに泣いていた。きっと一年前の悲しい日のこと、悲しい時間、お別れの瞬間のことを思い出して泣いたんだ。僕が上野動物園に来る前からずっと毎日、毎日デアは星を眺め寂しさをこらえていたんだ。毎日探したデアの星、その星が輝くずっと向こう側、どこかで見守るユキオさんとレイコさんの姿を心に映し、溢れる涙をずっとこらえていたんだ」
a0164204_03132604.jpg
「一年経ってもまだ悲しい、きっと十年たってもまだまだ悲しい。ある日、自分の目の前から大切な、大好きな命がいなくなる───そんな悲しみを僕はまだ知らない」
a0164204_03242466.jpg
「悲しみを知らないままの僕がどんなに慰めても、どんな言葉をかけてあげても、それはきっと薄っぺらな言葉になってしまう」
a0164204_03295971.jpg
「悲しみを知っているだけ、流した涙の分だけデアの方が僕よりずっと大人だ。そしてこのままじゃその差は埋まらない」
a0164204_03324036.jpg
「デアのために、デアとのこれからのために───そして僕のために」
a0164204_03360330.jpg
「僕はもっと大きな、身体も心も大きなホッキョクグマになりたい。僕は誰よりも優しく強い男のホッキョクグマになりたい」
a0164204_03393762.jpg
「ユキオさんのような“上野動物園のホッキョクグマ”に僕はなりたい」
a0164204_03492594.jpg
「デアは今日も遠くを眺めている。きっと今夜も星空を一人見つめ“北極星”を探すんだろう」
a0164204_03521760.jpg
「デア、僕じゃ駄目かい?」


その夜、窓からいつもの様に夜空を眺めるデアを、いつもの様に見たイコロ
これまでと一つだけ違うこと、それはデアが毎日何を想いそうしているのか───それを知っているということでした
a0164204_04022460.jpg
イコロはそっとドアを開け部屋を出ました
静かな夜の上野動物園、そこで見上げた夜空にはたくさんの星が輝いていました

「北極星ってどれだろう、デアが見つめる星はどれなんだろう」と、小さな声で呟くイコロ
部屋へ戻ろうと振り返った瞬間、目の前を横切り、大きな鳥がどこかへ向かって飛んでいくのが見えました
a0164204_04073546.jpg
「こんな夜に鳥だ」
イコロは自然とその鳥が飛んでいった方へと歩いていました
ホッキョクグマの家の裏へと続く坂を登り、夜空に映しだされた猿山の横を抜けて歩くイコロ
a0164204_04175921.jpg
そんなイコロを猿山の上から猿が一人眺めていました
「イコロ君、か」
とその猿は表情を変えずに呟き、そして柵を飛び越えイコロの後を追いかけるように静かに走り出しました
a0164204_04182452.jpg
目の前を飛んでいった鳥を追いかけ、少し早足で歩いたイコロ
イコロが辿り着いたのはモノレールの駅でした
a0164204_04242199.jpg
「これが上野動物園のモノレール──」
イコロは駅の中で静かに停まるモノレールを見つけ、しばらくの間動けずただ見つめていました
a0164204_07302632.jpg
「あっ、さっきの鳥は、あの大きな鳥はどこだ───」
駅の中をくまなく探したイコロは自分のことを見ている大きな目に気が付きました

券売機の所にそっと止まり、目を光らせイコロを見つめていたのは一羽のフクロウでした

「フクロウ、フクロウさんだよね? こんな夜にどうしたの?」
イコロがそう訊いてもフクロウは何も答えず、ただ丸く大きな目をくるくると動かしています
a0164204_04321030.jpg
「イコロ君」
戸惑うイコロの後ろから小さな声がしました
振り返るとそこには猿が立っています。イコロを追いかけ走ってきた猿もまた、明るい夜空にぼんやりと照らされたモノレールの駅へとやって来ていました

「そう、僕はイコロ。ホッキョクグマのイコロです。あなたは、あなたは誰ですか?」
名前を呼ばれたことを不思議に思い、目の前に立つ猿にイコロは訊きました
a0164204_04472330.jpg
「私はただの運転手です。自慢は上野動物園の動物達のことを誰より知っていること」とその猿は言い、フクロウと一緒に券売機の横に立ちました

状況がつかめず戸惑ったままのイコロに向かい猿は話を続けます
「どこか行きたいと考える場所があるんじゃないのですか? だからモノレールの駅まで来た、そういうことではないのですか?」
a0164204_04564487.jpg
「僕はただ夜空を眺めたくて部屋を出た。部屋にはデアがいるからね、すぐ傍で一緒に眺めていたらきっと嫌がると思ったんだ」

「なるほど」
猿は表情一つ変えずただ頷きます

「そうしたら目の前をそこにいるフクロウさんが飛んでいった。ただ気になって追いかけただけなんだ」

「なるほど。誰かにこのモノレールの話を聞いたわけではないんですね──」
猿はイコロの顔をじっと見つめ、少しだけ大きな声で話しを続けました
a0164204_05032207.jpg
「イコロ君、上野動物園にはモノレールがあります。それは知っていますね? 動物園に来たお客さんを乗せて何度も走る、このモノレールです」
猿は目の前に静かに停まる上野動物園のモノレールを見ました。

「知ってるよ、でも実際に見るのは初めてだ。こういう形でこんな色なんだね。なんだか楽しそうだ」
a0164204_05125283.jpg
そう言って楽しそうに微笑むイコロを見た猿はまた頷き、今度はモノレールのドアを開けて言いました
「上野動物園のモノレールは動物達を乗せて走る日があります。飼育係さんも知らない内緒のことです」

「えっ?」
イコロは何のことなのかわからず、なにも答えることができません
a0164204_05233976.jpg
「今日は特別です。ユキオさんが旅立ってから一年経った次の日、今日は特別な日です。私は運転手、君のためにこのモノレールを今日は走らせましょう」
小さな声でそう言った運転手の猿はモノレールの中へと入って行きました

「どこか行きたいと思う場所をフクロウに言い、そこまでの切符を貰いなさい。イコロ君の行きたいと思う場所はどこですか? 円山動物園ですか? おびひろ動物園ですか? それとも他に何処かありますか?」
a0164204_05323009.jpg
「行き先を言わなければ切符は貰えません。切符がなければモノレールを走らせることはできません。さあ早く、フクロウに行き先を言いなさい」
そうして淡々と運転手の猿に言われたイコロの口からぽつりとした言葉が出てきました

「北極星が見たい」
a0164204_05380654.jpg
「北極星?」
運転手の猿はイコロに訊き返します

「そうだ、僕は北極星が一番きれいに見える所に行きたい。それはどこですか? そもそも北極星はどこにありますか?」
a0164204_05404619.jpg
運転手の猿はそのイコロの言葉にどこか懐かしさのような物を感じだしていました
「北極星は北に光ります。その名の通り遥か北で光っています。ここからも見えるはず──」

そう言いかけた運転手の猿の話が終わらないうちにイコロは大きな声で言いました
「それならば北だ、とにかく北へ行きたい。少しでも北極星の近くへ行ってそこで見たい。北へ、北の果てに僕は行きたい」
a0164204_05500704.jpg
そのイコロの言葉に運転手の猿は大きく頷き、嬉しそうに微笑みました
「それならば“北極点”ですね。ユキオさんも大好きだと言っていた、そんな素敵な場所です」

「北極点───そうだ、僕をそこまで連れて行ってください。世界で一番大きな北極星を僕に見せてください」
a0164204_05582446.jpg
運転手の猿の頭の中に忘れられないあの光景がはっきりと戻ってきていました
「ユキオさんはレイコさんを連れ北極点まで行きました。イコロ君はデアと一緒じゃなくてもいいのですか?」

イコロは寂しそうに微笑み、デアの顔を思い浮かべます
a0164204_06031057.jpg
a0164204_06034689.jpg
a0164204_06040534.jpg
「今はまだ、今はまだ駄目なんだ。デアの心には僕より大きなユキオさんがいる。デアの中にある僕の存在はまだまだちっぽけなんだ」
a0164204_06070413.jpg
a0164204_06071301.jpg
「なるほど」
と小さな声で言い納得した様子の運転手の猿はその後は何も言わず、何かを想い一生懸命に伝えようと頑張っていたイコロにそっと微笑みかけました
a0164204_06120972.jpg
「いつか一緒に、いつか絶対にデアとも行くよ。二人で笑って楽しく行ける日が来るように、そんな日のために今日は一人で行く。そんな僕の気持ちがわかるでしょう?」
a0164204_06164844.jpg
a0164204_06172514.jpg
「ええ、もちろんわかりますよ」
運転手の猿はそう言ってもう一度頷き、券売機の前に止まるフクロウの方へ目をやりました

イコロも頷き、微笑みながらフクロウに言いました
「北極点まで、北極点までの切符を一枚ください」
a0164204_06230930.jpg
a0164204_06353154.jpg
「僕は今モノレールに乗っている。静かで速い、そんな乗り物。運転手は猿だ」
a0164204_06394242.jpg
あの時、僕が『北極点までの切符を──』と言うと、フクロウはくちばしで券売機のボタンを押した。すると一枚の切符が出てきたんだ
a0164204_06415205.jpg
“上野動物園→北極点”と書いてある小さな切符だ。それを運転手の猿に見せるとモノレールは静かに走りだした
a0164204_06441642.jpg
出発してすぐ、左側窓の外に大きな鳥の顔が見えた。券売機のフクロウじゃない黒っぽくてもっと大きな鳥だ。『“エミュー”です』と運転手の猿は言う
a0164204_06463700.jpg
モノレールに乗るお客さん、そして動物達を毎日いつも見送ってくれていると運転手の猿は言う
a0164204_06483289.jpg
そんなエミューに『行ってきます』と僕は小さな声で言った。旅の目的地は北の果て“北極点”だ
a0164204_06500618.jpg
デアは今も夜空を眺めているのだろうか、今日もデアの北極星を探しその光を見つめているのだろうか
a0164204_06515049.jpg
今日もユキオさんのことを想い一人涙をこぼしているのだろうか
a0164204_06525645.jpg
a0164204_06531430.jpg
僕が喋らなければ運転手の猿もしゃべらない、そんな静かなモノレール
僕は窓の外でキラキラと光り流れる街並を見ながら、そんなデアのことを考えた
a0164204_06590617.jpg
『北極点までは遠いんです。スピードを上げますよ』と小さな声で運転手の猿が言う
するとモノレールのモーターの音が少しだけ大きくなった
a0164204_07043525.jpg
『うるさいのは少し苦手』と運転手の猿は言う
だから僕も小さな声で話す
「僕もユキオさんの様になれるかな?」
a0164204_07393614.jpg
すると運転手の猿は“大好き”だというモノレールの運転を続けたまま、前を向き振り返らないまま小さな声で話す
a0164204_07095662.jpg
「それはわかりません。ユキオさんはユキオさん、イコロ君はイコロ君です。ただこうして旅に出れば少しずつ大人になっていくことと思います。あなたはホッキョクグマです。北極点に行けばきっと何かが変わります。その時、夜空に輝く北極星を見上げ、イコロ君が何を感じ何を思うか──それがなにより大切なことかもしれませんね」



上野動物園のモノレールはどんどんスピードを上げていく
街の明かりは遠くなり、今度は輝く星空へと吸い込まれていく

a0164204_07235460.jpg
「デア、そこから夜空を走るモノレールが見えるかい? 僕は一度見てくるよ。北極点から北極星を、一番大きく輝くそんな北極星を見てくるよ」
a0164204_07274110.jpg
「いつか一緒に北極点へ行こう。ユキオさんとレイコさんの様に二人で歩いて北極点まで行こう。二人で北極星を見上げ、そして一緒に笑おう」
a0164204_07302470.jpg
「大丈夫、その時は僕がかっこ良く案内するよ。一度行けば大丈夫、一度見れば大丈夫。僕は道のりを忘れない」
a0164204_07340303.jpg
流れる星空の向こうにデアの顔が浮かび続ける
a0164204_07420167.jpg
窓の外を眺め微笑んでいる、そんなデアの顔が浮かび続けている
a0164204_07334607.jpg
a0164204_07431851.jpg
「イコロ君、もう少しです。北極点の近くまで来ましたよ」
運転手の猿が少しだけ大きな声で僕を呼ぶ
a0164204_07443863.jpg
窓の外は氷の大地だ

僕は遠くまで来た
北の果て北極点まであと少し──








by bon_soir | 2015-11-26 08:00 | 上野動物園 | Comments(4)
Commented by パイン at 2015-11-26 23:42 x
しむらさん こんばんは
モノレールのお話、フジくんからまた繋がっているんですね。
やさしいイコロ君は、デアちゃんの気持ちをそっとみまもって。。やさしすぎて切ない。
ユキオさんとレイコさんの存在が大きく尊い。
モノレールのお話、大好きです。
いろんなやさしい動物たちの思いを乗せてこれからも走らせてくださいね。
Commented by bon_soir at 2015-11-27 08:10
パインさん、コメントありがとうございます。
上野のクマ達にはモノレールで出かけることが似合うと個人的には思っています。
ユキオとレイコが作ってきた上野動物園のホッキョクグマの存在感をデアとイコロに受け継いでいって欲しいですね。
そのためにも二人がもっと大人になって、いつの日か子どもができてくれたらなと思います。
そうすればまたモノレールが遠くまで走って行くと思いますし、そのときはみんながきっと笑顔ですね。
Commented by Natsuko at 2015-11-27 08:51 x
イコロ君、とうとうモノレールに乗れましたね♪
北極点で何を思い、これからどう成長していくのでしょうね。
いつかデアちゃんと一緒にモノレールで旅ができたらいいですね。
Commented by bon_soir at 2015-11-28 07:08
Natsukoさん、コメントありがとうございます。
やっぱり上野動物園の動物達、特にクマたちにはモノレールが似合うので乗ることとなりました。
動物園のホッキョクグマが北極点に、という話はベルリンのクヌートから始まる私の妄想なんです。
ことしもホッキョクグマの悲しい旅立ちのお知らせがありましたが、イコロのようにまだまだこれから成長していく仔も大勢ます
みんなの健やかな成長、そして未来へのことを願わずにはいられませんね

イコロとデアがユキオとレイコの様になったころ、きっと一緒にモノレールに乗り込むことと思います。
それはいつになりますかね。
二人を見守ること、それはこれからの楽しみができたと思います。
<< カイト、11月の終わり イコロとデアの北極星 >>